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Your search : [ author:国新] Total 8 Search Results,Processed in 0.110 second(s)
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1. ダライがかってに認定したパンチェンの転生霊童は不法かつ無効である
今年五月十四日、ダライは公然と国外でかってにいわゆる「パンチェン転生霊童」を公表し、パンチェン転生霊童さがしの作業の正常な進行を妨げようと企んだ。パンチェンの転生霊童を探し、認定する過程で、ダライたちはパンチェン大師の本来の願いに背き、虚偽を弄し、不正を働き、宗教儀式のきまりをふみにじり、従来からのしきたりを顧みず、彼らが宗教界を騙し、チベットを混乱におとしいれるみにくい正体を徹底的にさらけ出した
Author: 国新 Year 1995 Issue 51 PDF HTML
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2. プノンペン前線を訪れて
プノンペン解放の前夜、中国新聞代表団はカンボジアの解放区を訪問した。新華社国際部責任者の謝文清氏を団長とするこのジャーナリスト代表団は、二週間にわたって、プノンペンとメコン川の前線およびその他の戦場の指揮員·戦闘員を訪れ、また、解放戦争のなかでたびたび戦功をたてたいくつかの英雄部隊を訪れた。このほか、栄えある伝統をもついちぶのふるい革命根拠地をも訪問した。この間に、キュー·サムファン·カンボジア王
Author: 中国新聞代表団 Year 1975 Issue 18 PDF HTML
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3. 自力更生の奇跡
これは中国新聞代表団がプノンペン解放の前夜、カンボジア解放区を訪問し、帰国後発表したルポの第二編である。第一編は本誌一九七五年第十八号に掲載した。
Author: 中国新聞代表団 Year 1975 Issue 21 PDF HTML
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4. 面目を一新したカンボジアの農村
カンボジアの三月はこれまでは農閑期であったが、いまでは「農閑期」ということばはもう過去のものとなった。われわれはカンボジアで十数の省を見てきたが、山間部、平野部を問わず、いたるところで熱気にわきたつ農村の繁忙風景を目にした。五年間にわたる民族解放戦争の洗礼をうけて、カンボジアの農村はいま、大きく変化しようとしている。ある日、われわれはメコン川前線から車を駆って北上し、メサン郡のレスラモという村に着
Author: 中国新聞代表団 Year 1975 Issue 23 PDF HTML
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5. 荒波をけたててすすむ友誼の船
五月の日本は、風かおり、日もうららかに、自然のたたずまいが目を楽しませる。富士山麓のつつじの花も、北海道の千島桜の花もその美しさを咲き競っていた。中日両国人民の友誼の花も、日本列島のあらゆるところでいちだんとそのあでやかさをましていた。このすばらしい季節に、中国新聞代表団は、日中文化交流協会と日本新聞界の友人の招きにこたえ、中日両国人民の理解と友誼を増進する願いを胸に日本を訪れた。いま、日本の広範
Author: 中国新聞代表団 Year 1975 Issue 26 PDF HTML
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6. 日本の北方四島を望む
五月二十四日、中国新聞代表団は東京をあとにして北海道への友好訪問に旅立った。機上から見下ろすと、北海道の山々はまだ真っ白な残雪におおわれ、山すそや平地にはいちめんの新緑のなかに点々と桜の花が色彩を添え、ことのほか美しい光景だ。飛行機が釧路空港に着陸すると、われわれ一行は車に乗りかえて日本の北方四島と指呼の間にある根室市とノサップ岬に向かった。車窓から北方四島の一つクナシリ島の爺爺岳が海をへだててか
Author: 中国新聞代表団 Year 1975 Issue 28 PDF HTML
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7. 中日友好の新たなかけはし
中国新聞工作者代表団が日本新聞協会の招きで日本を訪問し、このほど帰国した。一行には本社の日文部主任も一員として加わった。本文は同代表団の訪日感想である。 ―編集部今回の日本訪問は、中国新聞(報道)工作者協会と日本新聞協会の取り決めにもとづく一回目の相互記者訪問であった。十月二十日から十一月四日にかけての訪日中に、いたるところで、「第一回日中記者交換」の文字を目にした。それは、ホテルの玄関であったり
Author: 中国新聞工作者代表団 Year 1982 Issue 47 PDF HTML
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8. 十年間に千四首人が受講した中国語教室
東京都の日中友好関係者の間でよく知られている大田区日中友好中国語会話学習会は、一九八二年十月開設されて以来、どんなことがあっても中断することなく、一年を二期(一期は五ヵ月)に区切って運営をつづけ、この七月末に第二十二期が終了する。受講生は一期ごとに増え、いまでは当初の五人から百人余りとなり、十年間の総数は延べ千四百人を超えるに至っている。記者は名を慕って数回も大田区に足を運び、講師や受講生を訪ね、
Author: 中国新聞社東京特派員 王文和北京週報社東京特派員 白日昶 Year 1993 Issue 27 PDF HTML