Current Location: Home » Full Text Search
Your search : [ author:本誌特派員 張 威] Total 233 Search Results,Processed in 0.155 second(s)
-
1. ソウル五輪に参加して
ソウルの五輪スタジアムで十六日間燃えつづけた聖火は十月二日、静かに消え、第二十四回夏季オリンピック大会は幕を閉じた。中国は二百九十九人の選手団をおくり、今大会の二十三競技のうちの二十一競技と二公開競技に参加し、金五、銀十一、銅十二を獲得し、メダル獲得総数は二十八で、十一位であった。これは前回のロス五輪でのメダル数より少ないが、中国体育代表団の李夢華団長は、「今大会からみて、中国のスポーツはこの四年
Author: 本誌特派員 張 威 Year 1988 Issue 41 PDF HTML
-
2. 李鵬総理、アフリカを歴訪
李鵬総理と夫人朱琳女史はザンビア、モザンビーク、ガボン、カメルーン、ナイジェリア、タンザニアなどの六カ国の指導者の招きで五月三日から上記六カ国を歴訪の旅に出た。それに先を立ち、セーシェル経由の際、同国に対し短期間の公務訪問をおこなった。李鉄映国務委員兼国家経済体制改革委員会主任はじめ何人かの部長がこれに随行する。李鵬総理は五月三日から、アフリカ歴訪の旅を始めた。今回の歴訪の目的はアフリカ諸国との往
Author: 本誌特派員 王哲 Year 1997 Issue 23 PDF HTML
-
3. 実り豊かな訪問
趙紫陽総理のアメリカ訪問について語る場合、まず五年前の鄧小平氏の訪米が思い起こされる。一九七九年の鄧小平氏の訪米は、中米国交樹立を祝うとともに、歴史的な突破がおこなわれたばかりのこの関係をさらに促進することを目的とするものであった。これに対し、趙紫陽総理の訪米は、ここ数年、一連の食い違いの結果―それは常に台湾問題をめぐるものであったが―によっていちじるしく冷却化した関係を双方がもう一度温めなおすた
Author: 本誌特派員 汪有芬 Year 1984 Issue 4 PDF HTML
-
4. 実り豊かな趙紫陽総理の訪加
趙紫陽総理は一月十六日から同二十三日にかけて、氷と雪におおわれた白銀の世界―カナダを訪問した。趙紫陽総理一行は、きわめて熱烈な歓迎を受け、行く先ざきでいつまでも忘れることのできない「真の友情」に包まれた。カナダのマスコミは趙紫陽総理の日びの行動をくわしく報道した。主要各紙は一面トップに大きな見出しをつけ、写真を何枚ものせたほどだった。訪問そのものの報道のほかに、カナダ·テレビは三日間連続、毎朝一時
Author: 本誌特派員 汪有芬 Year 1984 Issue 0506 PDF HTML
-
5. カルタヘナ南南会議
熱帯地方独特の魅力にあふれる南米コロンビアの海岸の町カルタヘナは、歴史上新旧世界の接点として重要な役割を果たしたことで知られる。その町が先ごろの南南会議によって、今度は貿易ではなく思想交流の舞台になった。会議はさる二月二十三日から二十六日にかけての四日間にすぎなかったが、ラテンアメリカ、アフリカ、アジア、ヨーロッパから来た八十人を超える代表、オブザーバーたちにとっては得るところの多い、忘れ難い印象
Author: 本誌特派員 鄭方堃 Year 1984 Issue 11 PDF HTML
-
6. 両国の協力関係を促した李先念主席のカナダ訪問
オタワのカナダ空軍基地飛行場で行なわれた李先念主席一行歓迎式典は熱烈な雰囲気にみちたものであった。李先念主席が観閲台に姿をあらわすと、赤い制服を着、黒い熊の皮の帽子をかぶった軍楽隊が中国の国歌を吹奏し、二十一発の礼砲が滑走路の上空にひびきわたった。つづいて、李先念主席は基地司令官に伴われて儀仗隊を観閲し、人びとはいろとりどりの旗をふり、われるような拍手で歓迎の気持ちを表わした。李先念主席の一週間の
Author: 本誌特派員 劉有源 Year 1985 Issue 30 PDF HTML
-
7. 三世代の女流作家
中国の現代文学界において、女流作家はきわめて重要なポジションを占めている。現在、中国作家協会の会員千人のうち二百三十五人、同理事二百余人のうち二十余人が女性である。三十年間を一世代とみると、今世紀の初めからこんにちまでに中国には三世代の女流作家が生まれたことになるが、ここに紹介する謝氷心、茹志鵑、張辛欣は三世代の女流作家の中でも代表的な存在だと言えよう。謝氷心―現代女流文学の先駆今年八十六歳という
Author: 本誌記者 張威 Year 1986 Issue 9 PDF HTML
-
8. 長城を踏破した人
一九八六年四月五日は、劉雨田さんにとっていつまでも忘れることができない日となった。この日の午後、四十三歳の劉さんは長城の東端―山海関老龍頭に到着し、二年間近くにわたる、行程五千五百キロの壮挙を完遂し、万里の長城を踏破した世界ではじめての人となった。世界七大奇跡の一つの万里の長城は、宇宙飛行士が宇宙から一番はっきり見える地球上の建造物だという。非常に雄大な古代の防御構築物としての長城は、えんえん中国
Author: 本誌記者 張威 Year 1986 Issue 15 PDF HTML
-
9. ある「詩人」科学者のたどった道
陳明遠さん(四四)は中国の最初の発明特許権を持つ学者の一人であり、コンピュータ情報処理と言語文学の分野でおさめた成果は学術界に注目された。この学者は詩が上手であったため、その詩の一部が「文革」期に毛沢東主席の詩と見なされて流伝した。そのため、江青が指導した「中央文化革命小組」に毛主席の詩を偽造したときめつけられ、「反革命分子」として投獄されたが、一九七八年つまり「四人組」粉砕の二年後にこの冤罪が雪
Author: 本誌記者 張威 Year 1986 Issue 21 PDF HTML
-
10. 井岡山―革命の揺藍地、観光の景勝地
井岡山は、湖南·江西両省の境界を走る羅霄山脈の中部にあり、中国革命の聖地としてだけでなく、景勝地としてもよく知られ、一九六〇年代に外国人に公開されて以来これまでに百三十余ヵ国から数万にのぼる外国の友人がここを訪れている。井岡山は中国革命の揺藍の地である。一九二七年、第一次国内革命が失敗に終わったあと、毛沢東同志は湖南·江西省境地区の農民を指導して秋収蜂起をおこし、井岡山に転進し、最初の農村革命根拠
Author: 本誌記者 張威 Year 1986 Issue 31 PDF HTML