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Your search : [ author:本誌記者 江山浩] Total 2041 Search Results,Processed in 0.158 second(s)
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1. 停滞―原因とその解答
中国は発展しつつある社会主義国。問題は、以前いちばん立ちおくれていた辺境地区の発展状況を見ることによって、解かれる場合が多い。このような発展を可能にした原因はなにか。このような発展に道をきりひらいた力はなにか。ひと口にいえば、それは社会革命である。本誌記者はこのほど西南地方の辺境地区、山の多い、多民族の住む雲南省を訪れた。本号から連載するルポは、主としてつぎのようなテーマをとりあげていく―革命はど
Author: 本誌記者 江山浩 Year 1974 Issue 1 PDF HTML
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2. 日進月歩の二十四年
雲南省都昆明についてのこのルポの前半、「停滞―原因とその解答」は、本誌一九七四年第一号にのせた
Author: 本誌記者 江山浩 Year 1974 Issue 2 PDF HTML
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3. マラリア撲滅記
記者が雲南省南部·思茅地区(省は若干の地区に、地区はさらに若干の県に分けられている)への旅に出ようとしていたとき、ある同志が解放まえに出版された一冊の旅行記をくれた。開いてみると、一九四四年頃の思茅について書いてある。「なんという荒れ果てた町だろう。城壁はひどく崩れている……なかは一面に一丈あまりの茅草、それがかすかな風にゆらいでいる……瓦はこわれ垣根は崩れた家が四、五軒。表門はほこりで閉ざされる
Author: 本誌記者 江山浩 Year 1974 Issue 3 PDF HTML
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4. 道路建設に貫かれた大衆路線
数十頭ないし百頭の駄馬からなる隊商が、深山、密林のなかのでこぼこの小道を前進してゆく。先頭の一人は芒鑼(ドラの一種)をたたきながら歩いている。その音と馬のくびにかけた鈴の音が、野獣よけになるらしい。夜になると、林間の空地にその日のねぐらを定める。かがり火をたき、実弾をこめた銃をかたわらにおいて、匪賊の来襲に備える。こうして、何日も何日も旅をつづけ、ときには何ヵ月も歩きに歩く。解放まえ、大官僚、大地
Author: 本誌記者 江山浩 Year 1974 Issue 4 PDF HTML
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5. 石油だけに止まらない巨大な意義
「工業は大慶に学ぶ」全国会議が始まった。このことは中国経済の発展にとって一つの重要な出来事であるといってよい。大慶の大油田はどのようにして建設されたのか。どのような特徴をもっているのか。ここに紹介するのは現地からの報道の第一編である。
Author: 本誌記者 江山浩 Year 1977 Issue 19 PDF HTML
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6. 背筋を伸ばそう
大慶油田は一九六〇年に建設を始めた。同年、第三世界の主要産油国は重要な意義をもつ手をうった―OPEC(石油輸出国機構)の設立である。年代が偶然に一致したとはいえ、この二つの出来事はいずれも、第三世界の国ぐにが自国の天然資源を自分で掌握し、独自で開発することを要求する、という歴史の流れに合流するものであった。「セブンシスターズ」の教訓前号では簡単に、アメリカの場合のように典型的な資本主義が石油工業を
Author: 本誌記者 江山浩 Year 1977 Issue 20 PDF HTML
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7. 「黒い黄金」と赤旗
世界ではじめての社会主義国ソ連では修正主義が登場し、資本主義が復活した。工業その他の企業の指導者は勤労人民のうえに高くとまって号令し、指図し、勤労者を懲罰し、首を切り、勝手気ままにふるまっている。かれらは大量の公共財産をかすめとって、勤労人民とひどくかけ離れた豪華な生活を送っている。かれらは「共産党員」の看板をかかげているが、実際はとっくに新しいタイプの官僚独占ブルジョア階級になってしまっているの
Author: 本誌記者 江山浩 Year 1977 Issue 21 PDF HTML
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8. 農村型の都市、都市型の農村
これは、大慶油田にかんするルポの最終編であり、前三編は、それぞれ本誌第一九号、二〇号、二一号に掲載した。 ―編集部大きな鉱業区や大油田を建設するとき、資本主義の伝統的なやり方は、現地、あるいはその付近に都市を建設することである。管理機構、商業、教育、文化、医療施設、各種のサービス業ならびに多数の住宅がそこに密集する。これにともなって近代都市のさまざまな弊害―雑踏、騒音、汚染、遠距離の通勤、それに食
Author: 本誌記者 江山浩 Year 1977 Issue 22 PDF HTML
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9. 一段と団結した大会
ブラジル、コモロ、インドネシア、モザンビーク、ネパール、ベネズェラ、南ベトナムおよびザンジバルの婦女代表団の代表たちは、モスクワ世界婦人大会に参加した後、中国を訪問した。七月十三日、周恩来総理と陳毅副総理は代表たちと会見し、懇談した。翌十四日の日曜日ひる、首都七、○○○あまりの人びとは、人民大会堂で盛大な集会を催し、代表たちを熱烈に歓迎した。歓迎大会で、中国全国婦女連合会の責任者は、あいさつのなか
Author: (本誌記者) Year 1963 Issue 2 PDF HTML
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10. 朝鮮の反米愛国闘争を支持
一九五三年七月二十七日現地時間午前十時に、板門店にあるテントでまるく囲まれたスマートな木造建築のホールで、アメリカの将軍はかれの同胞がいうように、アメリカ側がはじめて敗戦で終わった停戦協定に調印した。この朝鮮停戦協定は、アメリカ帝国主義のおこした恥ずべき朝鮮侵略戦争に終止符をうった。七月の二十七日、中国人民は「アメリカ帝国主義侵略軍を南朝鮮から追い出す共同闘争月間」を成功裏におえた。この闘争月間は
Author: 本誌記者 Year 1963 Issue 4 PDF HTML