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1. 広州での中国輸出商品交易会
一九七六年度の秋季中国輸出商品交易会(十月十五日から十一月十五日まで)は広州で幕を開けた。この交易会は一九五七年いらい毎年春と秋に開かれてきた交易会の四十回目にあたる。十九年らい、交易会の規模はますます大きくなり、会場を訪れる来賓も増える一方である。輸出が急速に伸びているので、この交易会は中国の対外貿易に影響を及ぼす場となり、また中国と世界各国人民、とりわけ経済貿易界の人びととの友好往来の一つの重
Author: 本誌記者 趙一鷗 宋二橋 Year 1976 Issue 42 PDF HTML
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2. 大治をめざして驀進
福建、浙江、江西の三省は、「四人組」がのさばっていた頃、ずいぶん攪乱されたところだ。記者は、こんど、この三省のなかでいちばん被害のひどかった地方をいくつか訪ねてみた。いったい、「四人組」とその手先は革命の看板をかかげてどのように悪事のかぎりをはたらいたのか、また「四人組」の摘発と批判をつうじて局面がどのように急速に好転したのか。以下、この目とこの耳で直接たしかめてきたことをいくらか紹介してみよう。
Author: 本誌記者 田三松 趙一鷗 Year 1977 Issue 3738 PDF HTML
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3. どうしてかれらが「走資派」なのか
福建省の省都福州市の人びとはよく、昨年二月におこった一連の「走資派つまみだし」事件を怒りもあらわにはなす。省党委員会第一書記をはじめ、若干の地区のいちばん末端の農村生産大隊の幹部までが「走資派」としておとしいれられた。省党委員会第一書記の引きまわし事件はそのひとつである。この同志は北京での会議で、「四人組」に「いまなお歩んでいる走資派」と攻撃され、空路北京から福州にもどると、飛行機を降りたとたん、
Author: 本誌記者 田三松 趙一鷗 Year 1977 Issue 39 PDF HTML
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4. 極右の路線
「四人組」は極右派であり、「徹頭徹尾の走資派であり、凶悪無比の反革命派である」。「かれらの路線は、これ以上右にはいけないほど右なのである」。これは、昨年の暮、「農業は大寨に学ぶ」第二回全国会議で華国鋒主席がのべたことばだ。温州滞在中の数日というもの、記者はいたるところで、「四人組」のこの極右路線にたいする憤まんを耳にした。温州は浙江省の南部にあり、人口三十万。瓯江はここで海にそそぐ。浙江省はわが国
Author: 本誌記者 田三松 趙一鷗 Year 1977 Issue 40 PDF HTML
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5. ある新生反革命分子の末路
杭州の工場区には、いたるところ「翁森鶴を打倒しよう」というビラが貼ってあった。あっさり「きんちゃくきりの翁を打倒せよ」と、うっぷんをぶちまけたものもある。翁森鶴は、浙江省での「四人組」の手先であった。この人脈のトップに位置していたといってもよい。「四人組」は翁を使って浙江省に手をのばし、この地区をかき乱した。翁は、党をのっとり国家権力を奪おうとする「四人組」の陰謀活動と緊密に呼応していた。翁森鶴と
Author: 本誌記者 田三松 趙一鷗 Year 1977 Issue 41 PDF HTML
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6. 三たび起伏した理由はなにか
江西トラク汐ー工場は江西省の省都南昌市にあり、わが国のトラクター製造の重点企業の一つである。昨年十月、「四人組」粉砕の朗報が伝わると、それまで八ヵ月間もストップしていた機械がまた動きはじめた。そしてこの月の後半に五〇台のトラクターが生産され、十一月には四〇二台、十二月には六〇六台と上昇をつづけ、今年の上半期の平均月産量は四六九台に達した。このような起伏は、一九七三年前後と一九七五年前後にもおこって
Author: 本誌記者 田三松 趙一鷗 Year 1977 Issue 42 PDF HTML
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7. 一段と団結した大会
ブラジル、コモロ、インドネシア、モザンビーク、ネパール、ベネズェラ、南ベトナムおよびザンジバルの婦女代表団の代表たちは、モスクワ世界婦人大会に参加した後、中国を訪問した。七月十三日、周恩来総理と陳毅副総理は代表たちと会見し、懇談した。翌十四日の日曜日ひる、首都七、○○○あまりの人びとは、人民大会堂で盛大な集会を催し、代表たちを熱烈に歓迎した。歓迎大会で、中国全国婦女連合会の責任者は、あいさつのなか
Author: (本誌記者) Year 1963 Issue 2 PDF HTML
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8. 朝鮮の反米愛国闘争を支持
一九五三年七月二十七日現地時間午前十時に、板門店にあるテントでまるく囲まれたスマートな木造建築のホールで、アメリカの将軍はかれの同胞がいうように、アメリカ側がはじめて敗戦で終わった停戦協定に調印した。この朝鮮停戦協定は、アメリカ帝国主義のおこした恥ずべき朝鮮侵略戦争に終止符をうった。七月の二十七日、中国人民は「アメリカ帝国主義侵略軍を南朝鮮から追い出す共同闘争月間」を成功裏におえた。この闘争月間は
Author: 本誌記者 Year 1963 Issue 4 PDF HTML
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9. 中国でキューバの「七·二六」記念日を祝う
七月二十六日、キューバの武装蜂起十周年を迎えるにさいし、中国はキューバにもっとも熱烈でかつ兄弟的な祝賀をおくるとともに、キューバ人民がアメリカ帝国主義に反対するたたかいと社会主義建設のなかでより大きな勝利をかちとることを祈った。中国共産党中央委員会主席毛沢東、中華人民共和国主席劉少奇、中国全国人民代表大会常務委員会委員長朱徳、国務院総理周恩来は、キューバ革命記念日前日の七月二十五日、キューバ社会主
Author: 本誌記者 Year 1963 Issue 4 PDF HTML
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10. 中国外科医学界の大きな成果
最近全中国は中国外科医学界の大成果を報道したニュースに湧きあがり、世上にまれな外科手術によって一労働者の完全に切断された右腕が接ぎ合わせられ、しかもその手のはたらきはひじょうに早く回復しつつある。上海のある工場で二十七歳の機械工王存柏さんが、右手をのばして押抜き機の一部の機械を調整しようとしたとき、操作規定をまもらなかったため、不注意にも押抜き機のバルプにふれて、腕の関節上半部一インチのところから
Author: 本誌記者 Year 1963 Issue 6 PDF HTML