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1. アジアの発展と繁栄のために
第二回アジア議員人口·開発フォーラムは、九月二十三日から二十五日まで北京で開かれ、アジア·オセアニア地域から来た正式加盟国と関連諸国の二百人の議員、専門家、オブザーバーが出席した。一九八一年十月、国連人口活動基金(UNFPA)の資金援助の下で、アジア議員人口·開発会議が北京で開かれ、同会議は、アジア諸国の議会と政府に人口問題を重視するよう呼びかけるとともに、アジアの人口増加率を抑制する努力目標を提
Author: 王暁濱 Year 1987 Issue 43 PDF HTML
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2. 雨と花を通りぬけ、三月の揚州に上る―神奈川自転車旅行団同行手記
神奈川県日中友好協会青年部が企画した「上海―蘇州―無錫―揚州自転車旅行団」一行四十九人が三月十七日大阪を離れ上海に来ることを本誌の東京特派員が送ってくれた『神奈川新聞』で知った。アメリカ人の自転車旅行は何回か耳にしたことはあるが、日本人が中国を自転車で旅行することは確かに初耳であり、若者を主な対象とし、最年少は十一歳の子供も参加するということで、さっそく中国側の主催者―上海市対外職工交流センターに
Author: 本誌記者 王暁濱 Year 1987 Issue 14 PDF HTML
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3. 無情な大火、不屈の人民
七十キロの大火黒竜江省で起きた森林大火現場から約二百キロ離れた加格達奇センター病院で、生まれて五十四日目の黄殿竜ちゃんが、母の懐に抱かれて乳を呑んでいた。十三日前、強風は炎が四、五メートルもある大火をともなって竜ちゃんの郷里、西林吉鎮をひとなめにした。母親の李秀梅さんは竜ちゃんを背負って狂ったように走った。炎は赤ちゃんをくるんでいるふとんに燃え移った。風はうなり、火はほえたけり、竜ちゃんは背中で泣
Author: 本誌記者 王暁濱 Year 1987 Issue 22 PDF HTML
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4. 無情な大火、不屈の人民
今回の森林大火の状況について、大興安嶺消火救災指揮部の一責任者である劉文漢氏は記者に次のように語った。五月六日、大興安嶺護林防火指揮部は、出火地点を五ヵ所―西林吉鎮西の古蓮駅の東南二キロの地点、阿木爾林業局管轄区内、塔河林業施工区間(二ヵ所)、加格達奇県内―発見した。加格達奇県内の火災はすぐに鎮火したが、漠河県内の火災(古蓮駅付近)が心配であった。西林吉鎮に近いからである。漠河林業局になんども電話
Author: 本誌記者 王暁濱 Year 1987 Issue 23 PDF HTML
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5. 無情な大火、不屈の人民
烈火とたたかう人民の子弟兵中国人民解放軍は、今回の森林大火の消火救災活動において主力的な役割を果たした。火災が発生すると、瀋陽軍区司令員がみずから指揮にあたり、二万余の軍民が各地から緊急動員された。塔河、漠河に通じる鉄道、自動車道路のいたるところで、解放軍部隊や救援物資を満載した解放軍トラックの列がみられた。指揮員らはトラックのなかで、列車のなかで、指揮会議や動員会議をひらいた。某師団は五月八日の
Author: 本誌記者 王暁濱 Year 1987 Issue 24 PDF HTML
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6. 無情な大火、不屈の人民
郷土再建の声大興安嶺へ行く前に、記者は北京の大学を卒業してから進んで大興安嶺林区へ赴き、伐採労働者、伐採中隊長、大興安嶺新聞社総編集室の主任をしたことがある楊潤時さんを訪ねた。楊さんは現在、中国社会科学院弁公庁の主任である。彼は次のように語った―大興安嶺の豊富な林業資源を開発するために、中国政府は一九六三年まで三回も力を結集して開発したが、厳寒のため、いずれもやむなく中止された。一九六四年以後、関
Author: 本誌記者 王暁濱 Year 1987 Issue 26 PDF HTML
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7. 無情な大火、不屈の人民
猛火と濃煙の中の「鉄のタカ」今回の消火救災活動で、中国民航と空軍は肩をならべてたたかい、大きく貢献した。まさしく「鉄のタカ」である。五月八日の夜明け、孔祥玉機長は民航のヘリコプターを操縦し、ハルビンから加格達奇経由で漠河県都に向かい、わずか一キロ先に立ちのぼる濃煙をおかして強行着陸し、中共黒竜江省党委副書記周文華などの指導者を被災区に運んだ。また、民航機は被災区に救災物資を投下するとともに医療隊を
Author: 本誌記者 王暁濱 Year 1987 Issue 27 PDF HTML
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8. 官僚主義のシッポが燃えた
建国以来空前の大損失を出した森林大火は、五月六日午後、北緯五十六度、東径百二十二度の地点から発火し、六月二日までの二十七昼夜燃え続け、県都一つと鎮(村)二つを焼き尽くし、百九十三人の焼死者、二百人以上の負傷者を出してようやく鎮火した。被災者は五万人に達した。政府筋のおおまかな統計によると、火災面積は百一万ヘクタールに達し、営林場九ヵ所、貯蔵木材八十五万五千立方メートルが焼け、その他直接あるいは間接
Author: 本誌記者 王暁濱 Year 1987 Issue 28 PDF HTML
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9. 儒学国際討論会について(上)
中国孔子基金会とシンガポール東亜哲学研究所共催の儒学国際学術討論会は、今年九月、孔子の出身地―曲阜で開かれ、アジア、ヨーロッパ、アメリカ、オセアニアの十二の国と地区から百名以上の学者が出席した。彼らの見解と感想を読者に紹介するため、そのうちの十一人に本誌日本語版の筆談に参加していただいた。次は筆談の内容である。司会者 まず、この国際討論会の主な組織者の一人である辛冠潔中国孔子基金会副会長に、孔子基
Author: 本誌記者 王暁濱 Year 1987 Issue 42 PDF HTML
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10. 中国の伝統文化を探る(上)
八百余年前、海を隔てて台湾島と向かい合っている福建省(以下「閩」と略称)に、一人の学者が生まれた。彼の学説は「閩学」と称され、「新儒学」とも言う。明、清の両時代、彼の主要な著作は、科挙(文武官吏登用の試験制度)受験の教科書とされ、封建官僚予備軍のなかの、科挙に及第して役人としての地位と身分を切望する若者たちの唯一の指針と見なされた。この学者は朱熹(一一三〇~一二〇〇年)である。彼は南宋時代のもっと
Author: 本誌記者 王暁濱 Year 1988 Issue 2 PDF HTML