Current Location: Home » Full Text Search
Your search : [ author:本誌記者 余端志 戴延年] Total 2041 Search Results,Processed in 0.086 second(s)
-
111. 炭鉱労働者の生活
昨年、年の瀬もおしつまったとき、われわれは中国の大型の炭鉱―開灤炭鉱を訪れた。ここに足を踏み入れると生産の息吹きが、ひしひしと迫ってくる。年度生産計画の期限前達成の勝報と生産の新記録樹立の消息がつぎつぎに全鉱山に伝えられる。この炭鉱は一九七一年度の生産計画を七日間繰り上げて達成し、さらに新しい足どりで一九七二年に突進しようとしている。われわれは大きな興味をもって、ここで働く労働者とその家庭を訪れた
Author: 本誌記者 Year 1972 Issue 16 PDF HTML
-
112. ある住民委員会
和平里―ここは北京市の東北部の一角に、新しくできた四、五階建ての建物を含む数百棟がたち並んでいる住宅区だ。ここには住民委員会がたくさんあるが、興化西里の革命住民委員会もその一つである。革命住民委員会革命住民委員会はそこに居住する住民の自治機構で、住民によって民主的に選出され、毎年一度改選される。委員会は、四人の正副主任を含む十七名の委員で構成されている。住民委員会はつぎのような多くの仕事を受けもっ
Author: 本誌記者 Year 1972 Issue 17 PDF HTML
-
113. 団結、友宜の盛会
待望の第一回アジア卓球選手権大会が九月二日、北京で開幕した。これはアジア卓球連合が今年の五月に発足していらい、はじめての大型国際競技大会である。三十一のアジアの国家と地域―アフガニスタン、イエメン·アラブ共和国、ブータン、ビルマ、カンボジア、キプロス、朝鮮民主主義人民共和国、ベトナム民主共和国、香港(ホンコン)、インド、イラン、イラク、日本、ヨルダン、クウェート、ラオス(愛国戦線)、レバノン、澳門
Author: 本誌記者 Year 1972 Issue 37 PDF HTML
-
114. 大きな成功をおさめた第一回アジア卓球選手権大会
第一回アジア卓球選手権大会は九月十三日北京で、勝利のうちにその幕を閉じた。大会の開催中、アジア卓球連合第一回総会がひらかれ、一九七四年日本で次期大会をひらくことが決められた。今回の選手権大会と総会は、アジア人民の大団結をはっきり示した。試合場の内外で、団結と友好の精神が各国の選手を導いた。会議でも、各国の代表はこの精神を具体的にあらわした。各国はその大小をとわず一律に平等で、互いに尊重しあい、民主
Author: 本誌記者 Year 1972 Issue 38 PDF HTML
-
115. 新しいタイプの国際試合
雄大な首都体育館には、人びとの目をひく五つの言葉で書かれた第一回アジア卓球選手権大会の看板はすでに取りはずされ、連日観戦におしかけていたわきたつ観衆の群れは、もう見当たらない。アジアの各地からやって来た卓球選手たちは、飛行機、汽車で北京を発って帰国の途につくか、わが国の他の都市への参観訪問におもむいている。十二日間にわたる今回のアジア卓球界の盛大な祭典は、すでにその幕を閉じたのだ。だが、体育館での
Author: 本誌記者 Year 1972 Issue 39 PDF HTML
-
116. 断崖にかかる川
晩秋、わたしは数人の同僚といっしょに、全国に聞こえた人工の川―紅旗用水路を訪れた。北京から汽車で南下すること八時間、河南省の安陽市に着いた。安陽は、わが国でいままでに知られている、いちばん古い都の所在地。奴隷社会の時期、いまから三千余年前の殷の時代、時の支配者はここに都を定めた。安陽では、十余万片の甲骨文字、石器、彩陶、それにかなり精巧な青銅器など大量の古代文物が発掘されている。また、たくさんの古
Author: 本誌記者 Year 1972 Issue 49 PDF HTML
-
117. 断崖にかかる川
八ヵ月にわたる奮闘ののち、一九六〇年十月、漳河の大堤防(地図③)はできあがり、大堤防から林県の境界に通じる二〇キロの総幹線用水路(地図④)は完成した。このニュースが伝わると、人びとは奮いたった。そして、境界から分水嶺にいたる五〇キロの総幹線用水路の完成をめざしていっそうの努力をはらう決意を固めた。巨竜を思わせる用水路は、曲りくねり、山々をめぐって行く。ところが途中にそそり立つけわしい嶺が行く手をさ
Author: 本誌記者 Year 1972 Issue 50 PDF HTML
-
118. 農業の機械化をめざして前進
反封建の土地改革がなしとげられたあと、第一歩として農業の集団化を実現し、第二歩として農業の集団化を基礎とする農業の機械化と電化を実現すること―これは農業問題におけるわが党の基本路線である。ここに、河北省遵化県の人民が農業の機械化を実現するにあたって出会った数かずの困難と、かれらがどのようにしてりっぱな端初をつくったかについて、紹介してみたいと思う。二十年まえ、この県の王国藩農業生産協同組合(いまの
Author: 本誌記者 Year 1972 Issue 5253 PDF HTML
-
119. 党支部はどのように農民の前進を指導したか
さきごろ、われわれは、「現代愚公の村」とたたえられている、河北省遵化県岳各荘人民公社沙石峪生産大隊を訪れた。毛主席は一九四五年、中国のむかしの寓話―「愚公、山を移す」の物語をかりて、全党と全国人民に、あらゆる困難を克服して、勝利をたたかいとるよう呼びかけた。沙石峪生産大隊の公社員たちが自然改造にとりくむなかで示した現代愚公の精神は、全国の模範とするに足るものだ。沙石峪は北京の東方百七十キロ、長城の
Author: 本誌記者 Year 1973 Issue 3 PDF HTML
-
120. 延安精神
延安は中国革命の聖地である。延安は中国革命の栄えある伝統を象徴している。この伝統の重要な構成部分の一つが刻苦奮闘、自力更生だ。人びとがしばしば口にする「延安精神」とは、このことである。延安はわが国の西北地区陝西省北部の黄土高原に位し、延河に臨み、多くの山々に抱かれている。以前は交通の不便な、経済のひどく立ち遅れたところだった。一九三五年十月、毛主席は中国労農赤軍をひきい、二万五千華里の長征を経て、
Author: 本誌記者 Year 1973 Issue 8 PDF HTML