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Your search : [ author:本誌記者 李栄霞 楊小兵] Total 2070 Search Results,Processed in 0.094 second(s)
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151. ラサ川のほとりのシャンガ村を訪ねて
三十年このかた、シャンガ村の人口はたえず増えている。治療は無料だし、発病率は下がっている。だが、公衆衛生·保健の面ではまだ満足するにはほど遠い。頭を切りかえる観念革命なしには、徹底した衛生革命もあり得ないだろう。
Author: 本誌記者 張威 楊小兵 Year 1989 Issue 12 PDF HTML
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152. ラサ川のほとりのシャンガ村を訪ねて
シャンガ村には三十年前と比べ、かなり大きな変化が起きた。だが、ここの文化生活は相変わらず貧弱、単調なため、はつらつとした若者たちはいつもラサに行って楽しむしかない。ラサから数千キロ離れた北京に電話をかけても、数分で通じるのに、わずか八キロしか離れていないシャンガ村とラサとの連絡は非常に不便だ。電話が架設されていないからだ。シャンガ村を管轄するツァイゴンタン郷にもこういう近代的な通信手段はない。海抜
Author: 本誌記者 張威 楊小兵 Year 1989 Issue 13 PDF HTML
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153. ラサ川のほとりのシャンガ村を訪ねて
シャンガ村の急速に発展した運輸業などの副業は、人びとにかなりの収入をもたらし、農業も原始的農業からしだいに近代的農業へと移行している。しかし、農民は農業生産資材の価格暴騰とひどい電力不足に不満たらたらだ。記者が村をぶらついていて目についたのは家がみな真新しいことだった。庭には海業やコウシンバラなどを植えた鉄と木造の鉢などが置かれている。現在、シャンガ村には三十年前からの古い家に住んでいる人は一人も
Author: 本誌記者 楊小兵 張威 Year 1989 Issue 14 PDF HTML
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154. ラサ川のほとりのシャンガ村を訪ねて
村民たちは、教育の重要性を認識しているが、教師不足、教育レベルが高くないことで悩んでいる。一九八五年から他省に開設されたチベット族学校は、シャンガ村の父兄に新しい希望をもたらした。十二歳のヤンチンちゃんはカバンを背負って、シャンガ村の通学路をひとりで歩いている。彼女は毎日のように五キロも離れたツァイゴンタン郷中心小学校に通っている。教科書やノートおよび弁当がいっぱい詰め込まれたカバンは、ずいぶん重
Author: 本誌記者 張威 楊小兵 Year 1989 Issue 16 PDF HTML
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155. ラサ川のほとりのシャンガ村を訪ねて
人びとの関心は物価上昇と物資の不足。ラサの騒乱もシャンガ村に暗い影を落としている。村民たちは、情勢が安定し、いい幹部が現れて彼らを豊かな生活へと導いてくれることを期待している。シャンガ村取材の案内をしてくれた二人のチベット族出身の女性幹部は、チベット大学歴史学科の出身だった。彼女らの父母は昔は“チャパ”(小作人)で、のち政府の役人になったという。彼女たちは幼いころからラサで育てられ、流暢な漢語を話
Author: 本誌記者 張威 楊小兵 Year 1989 Issue 18 PDF HTML
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156. 文書資料の活用進む
一九七九年には、中国では文書資料の公開、活用は考えられず、各種の書類は密封され、厳しく管理されていた。それがすっかり様変りした。一九七九年に中共中央、国務院が文書資料事業の復活、発展を決定してから、中央から地方にいたる文書資料行政管理機関が整備された。歴史、経済、文化、科学技術などさまざまな分野の各種の文書資料が誰の目にも触れ、誰の手でも利用できるようになった。一九八七年に「中華人民共和国檔案(文
Author: 本誌記者 呉乃陶 楊小兵 Year 1991 Issue 42 PDF HTML
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157. 思い出深い宮城県の旅
宮城県日中友好協会の招きで五月七日から二十日まで日本を友好訪問した私たちは、仙台市、気仙沼市、歌津町、小牛田町、三本木町など宮城県各地を駆け足でまわり、日本の美しい自然風景に接するとともに、中日両国人民の深い友情に強い感銘を受けた。応接にいとまのない歓迎会わずか二週間の訪問中、私たちは、一ヵ所に一日しか滞在しなかったが、どこに行っても熱烈な歓迎を受けた。仙台市に着くと、宮城県日中友好協会が歓迎会を
Author: 本誌記者 李栄霞 孫霄燕 Year 1993 Issue 29 PDF HTML
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158. 農民の出産観の変化
四川省自貢市で、農村の独りっ子の父母三百七十人に対しサンプリング調査を行なって、三人目またはそれ以上子供を生もうとする人は一人もなく、二人目の子供をほしいという人が百五十三人で、残りは独りっ子で結構ということがわかった。二人目の子供がほしい原因はさまざまであるが、そのうち、老後子供に養ってもらいたいというのが四一·三九%、育児の安全係数を大きくするというのが三九·四九%、労働力を増加したいというの
Author: 本誌通信員 蕭穆 本誌記者 楊小兵 Year 1985 Issue 16 PDF HTML
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159. 人民調停制度について
中国の都市·農村に散在する人民調停委員会は、大量の民事紛争を裁判によらない方法で解決し、犯罪の発生を防ぎ、減らすのに役立っている。調停委員会は、大衆の自己教育、自己管理の組織である。調停は民主的協議を主とし、法にしたがって行わなければならないが、当事者が裁判所に提訴することを妨げない。紛争調停結婚をめぐる紛争 北京市社会路の住民、趙さんは、けんかが理由で矯正労働処分となった。昨年初め、満期となって
Author: 本誌通信員 漢月 王岩 本誌記者 楊小兵 Year 1987 Issue 48 PDF HTML
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160. チベット代表、「人権」を語る
三月五日、チベット自治区区都ラサ市では、一九八七年九月以来三回目の騒乱が起きた。騒乱分子は口ぐちに「チベット独立」のスローガンを叫んだ。国外にもチベットの「独立」と「人権」問題に関心を持つ人がいる。チベットの実情はいまどうなっているかを知ろうと、記者は第七期中国人民政治協商会議全国委員会第二回会議、第七期全国人民代表大会第二回会議に出席のため、北京滞在中のチベット族の政協委員と人民代表数名にインタ
Author: 本誌特約記者 王蓬 本誌記者 楊小兵 Year 1989 Issue 17 PDF HTML