Current Location: Home » Full Text Search
Your search : [ author:本誌記者 黄 衛] Total 2107 Search Results,Processed in 0.103 second(s)
-
1901. ラサ市民を訪れる
チベットへ向かう途中での見聞とラサの新市街、工業建設状況を紹介した前半は二十六号に掲載した。
Author: 本誌記者 郗長豪 高元美 Year 1975 Issue 27 PDF HTML
-
1902. 旧制度の復活を許さない
パゴール街で批林批孔の大衆集会に参加した。発言した人のなかに、ツレンヤンツォン(次仁央宗)というおばあさんがいた。かの女は悲しみと憤りをこめて過去の出来事を人びとに訴えた。一九四八年の秋のある日、かの女の十二歳になる息子プブ(普布)は夜になっても帰ってこなかった。かの女は夫と不安にかられながら一晩ねむらずに待っていた。夜があけるとさっそく探しに出たが、わが子の姿は見当たらなかった。昨日、凶悪なチベ
Author: 本誌記者 郗長豪 高元美 Year 1975 Issue 28 PDF HTML
-
1903. 偉大な変革(上)
チベットが解放されたのは一九五一年であるが、それから今日までの短い期間に、チベットの社会は数世紀を飛び越すほどの発展をなしとげた。いまチベットは社会主義革命と社会主義建設のさなかにある。多くのチベット族と漢族の人びとは、チベットにおけるこの天地をくつがえすような大変化にふれると、これは毛主席の革命路線と党の民族政策の偉大な勝利だ、と口をそろえて語った。中国共産党と人民政府は、どのようにチベット人民
Author: 本誌記者 郗長豪 高元美 Year 1975 Issue 29 PDF HTML
-
1904. 偉大な変革(下)
本編の前半は、一九五一年のチベット平和解放および一九五九年のダライ売国集団の武装反乱平定についてのべたものであり、二十九号に掲載した。 ―本誌編集部民主改革チベット上層部反動集団の武装反乱は、かれら自身の正体を完全にさらけだし、自らを孤立に追いこむ結果となった。広範な農奴は反乱平定のとき、民主改革を強く要求し、上層部の愛国的、進歩的な人びとも積極的に改革に賛成した。その上、チベット族出身の幹部も多
Author: 本誌記者 郗長豪 高元美 Year 1975 Issue 30 PDF HTML
-
1905. 新しい工業区を訪れて
われわれは新たに建設したリンジー(林芝)工業区を訪れた。ラサから自動車を駆って、四川=チベット自動車道路を起伏した山なみに沿って東に向けて走る。車は大きな山を越えると後はずっと下り坂。ラサは海抜三千六百余メートルの高さにあるが、リンジーは標高二千九百メートルしかない。ラサとリンジーは四百余キロも離れているが、前へすすむにつれて、地勢はだんだん低くなり、樹木が目だって多くなってくる。緑の山に青い水、
Author: 本誌記者 郗長豪 高元美 Year 1975 Issue 31 PDF HTML
-
1906. チベット族と漢族は一家族
われわれはチベット自治区林芝県で、あるチベット族の婦人幹部に会った。人びとはかの女を康英という漢族の名前で呼んでいる。そのわけを聞いてみたところ、つぎのようないきさつのあることがわかった。再会する肉親康英さんはもともとサンム(桑木)といい、本籍地は四川省のチベット族が集まって居住している地区である。かの女の両親はともに農奴であったが、農奴主の過酷な抑圧と搾取をうけて生きるすべを失い、サンム兄妹を連
Author: 本誌記者 郗長豪 高元美 Year 1975 Issue 38 PDF HTML
-
1907. 幹部と農民の関係
毛主席は、「ふるい社会制度をくつがえし、あたらしい社会制度、すなわち社会主義制度をうちたてること、これは偉大な闘争であり、社会制度および人間の相互関係の大変動である」(《中国共産党全国宣伝工作会議における講話》)とのべている。さきごろ、河南省東部の蘭考県(中国の二千余県の一つ)を訪れ、地元の幹部が農民大衆との関係改善にきわめて大きな関心を寄せているのを目にした。地主·ブルジョア階級をくつがえして生
Author: 本誌記者 金幾竹 向栄 Year 1975 Issue 40 PDF HTML
-
1908. 社会主義の新農民
旧中国は、小生産の大海原のような農業国であった。一九四九年の新中国成立後、全国の農村で普遍的に土地改革がおこなわれ、封建主義的所有制は廃絶された。つづいて、小生産農民の私有経済は徐々に協同組合と人民公社の集団経済に移行し、数億の農民は社会主義の道に沿って決定的な意義をもつ第一歩を踏み出した。だが、農村にはなお公社員の少量の自留地と家庭副業といった生産手段私有制の残滓があり、人民公社の生産手段所有制
Author: 本誌記者 金幾 竹向栄 Year 1975 Issue 41 PDF HTML
-
1910. だれが企業の指導権を握っているか
われわれは大連鋼鉄工場にやってきた。火がもえさかり火花のひらめく製鋼工場をみた。工場の多くの指導的幹部が労働者といっしょに働いていた。われわれはまた鋳鋼、圧延工場や鋼線、鋼管などをつくる工場もみた。大連鋼鉄工場は、特殊鋼材を生産する大工場で、従業員は一万人、十八の科や室と二十一の職場、関係部門からなっている。この工場は六十九年の歴史をもち、解放前は長期にわたって外国資本の支配下にあった。日本帝国主
Author: 本誌記者 周今 向栄 Year 1976 Issue 18 PDF HTML