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Your search : [ author:本誌記者 向栄 金幾竹] Total 2043 Search Results,Processed in 0.107 second(s)
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1921. 広州での中国輸出商品交易会
一九七六年度の秋季中国輸出商品交易会(十月十五日から十一月十五日まで)は広州で幕を開けた。この交易会は一九五七年いらい毎年春と秋に開かれてきた交易会の四十回目にあたる。十九年らい、交易会の規模はますます大きくなり、会場を訪れる来賓も増える一方である。輸出が急速に伸びているので、この交易会は中国の対外貿易に影響を及ぼす場となり、また中国と世界各国人民、とりわけ経済貿易界の人びととの友好往来の一つの重
Author: 本誌記者 趙一鷗 宋二橋 Year 1976 Issue 42 PDF HTML
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1922. 社会主義の民族関係と民族区域自治について
中国西北の辺境にある新疆ウイグル(維吾爾)自治区には、多くの民族があつまり住んでいる。解放後、この地域は大きな変貌をとげた。さいきん、本誌記者が自治区を訪れたので、本号からそのルポをのせ、この地区における民族関係の根本的な変化、区域自治の実施状況、経済·文化の急速な発展、少数民族幹部の成長などについて逐次紹介することにしよう。
Author: 本誌記者 田三松 郭必宏 Year 1976 Issue 43 PDF HTML
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1923. 共栄の大道を歩む
新疆は広大で、その面積はわが国の六分の一に及んでいる。天然資源はゆたかで、鉱産物には石油、石炭などがあり、農産物には綿花、ハミ·メロン、干ブドウなど、畜産物では新疆の細毛羊、イリ馬などがひじょうに有名である。しかし、かつてはこの地域は経済的にも、文化的にも中国でもっとも立ち遅れた地区の一つであって工業はほとんどゼロに等しく、交通も不便で、広大な土地には一メートルの鉄道もなかった。農業は広く播き付け
Author: 本誌記者 田三松 郭必宏 Year 1976 Issue 47 PDF HTML
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1924. たくましく成長する少数民族幹部
以下は新疆のルポシリーズ最終編である。前の二編はすでに本誌第四十三、四十七号に連載されている。 ―編集部中国革命の勝利は中国の少数民族幹部を成長させる広々とした道をひらいた。建国いらい中央から地方にいたる各レベルの指導的な仕事につく少数民族幹部の数は増加の一途をたどってきた。われわれは新疆ウイグル(維吾爾)自治区で、中国共産党中央政治局委員候補、全国人民代表大会の副委員長、そして自治区の党委員会第
Author: 本誌記者 田三松 郭必宏 Year 1976 Issue 50 PDF HTML
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1925. 大治をめざして驀進
福建、浙江、江西の三省は、「四人組」がのさばっていた頃、ずいぶん攪乱されたところだ。記者は、こんど、この三省のなかでいちばん被害のひどかった地方をいくつか訪ねてみた。いったい、「四人組」とその手先は革命の看板をかかげてどのように悪事のかぎりをはたらいたのか、また「四人組」の摘発と批判をつうじて局面がどのように急速に好転したのか。以下、この目とこの耳で直接たしかめてきたことをいくらか紹介してみよう。
Author: 本誌記者 田三松 趙一鷗 Year 1977 Issue 3738 PDF HTML
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1926. どうしてかれらが「走資派」なのか
福建省の省都福州市の人びとはよく、昨年二月におこった一連の「走資派つまみだし」事件を怒りもあらわにはなす。省党委員会第一書記をはじめ、若干の地区のいちばん末端の農村生産大隊の幹部までが「走資派」としておとしいれられた。省党委員会第一書記の引きまわし事件はそのひとつである。この同志は北京での会議で、「四人組」に「いまなお歩んでいる走資派」と攻撃され、空路北京から福州にもどると、飛行機を降りたとたん、
Author: 本誌記者 田三松 趙一鷗 Year 1977 Issue 39 PDF HTML
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1927. 極右の路線
「四人組」は極右派であり、「徹頭徹尾の走資派であり、凶悪無比の反革命派である」。「かれらの路線は、これ以上右にはいけないほど右なのである」。これは、昨年の暮、「農業は大寨に学ぶ」第二回全国会議で華国鋒主席がのべたことばだ。温州滞在中の数日というもの、記者はいたるところで、「四人組」のこの極右路線にたいする憤まんを耳にした。温州は浙江省の南部にあり、人口三十万。瓯江はここで海にそそぐ。浙江省はわが国
Author: 本誌記者 田三松 趙一鷗 Year 1977 Issue 40 PDF HTML
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1928. ある新生反革命分子の末路
杭州の工場区には、いたるところ「翁森鶴を打倒しよう」というビラが貼ってあった。あっさり「きんちゃくきりの翁を打倒せよ」と、うっぷんをぶちまけたものもある。翁森鶴は、浙江省での「四人組」の手先であった。この人脈のトップに位置していたといってもよい。「四人組」は翁を使って浙江省に手をのばし、この地区をかき乱した。翁は、党をのっとり国家権力を奪おうとする「四人組」の陰謀活動と緊密に呼応していた。翁森鶴と
Author: 本誌記者 田三松 趙一鷗 Year 1977 Issue 41 PDF HTML
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1929. 三たび起伏した理由はなにか
江西トラク汐ー工場は江西省の省都南昌市にあり、わが国のトラクター製造の重点企業の一つである。昨年十月、「四人組」粉砕の朗報が伝わると、それまで八ヵ月間もストップしていた機械がまた動きはじめた。そしてこの月の後半に五〇台のトラクターが生産され、十一月には四〇二台、十二月には六〇六台と上昇をつづけ、今年の上半期の平均月産量は四六九台に達した。このような起伏は、一九七三年前後と一九七五年前後にもおこって
Author: 本誌記者 田三松 趙一鷗 Year 1977 Issue 42 PDF HTML
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1930. 武装した労働者、農民
中国人民解放軍はこれまでの軍隊とは根本的に異なる特徴をもつ新しい型の部隊である。 本誌記者はこのほど広州近郊の陸軍某師団を取材した。本号から人民解放軍の現状紹介を連載する。 ―編集部いく重にもかさなる山々にかこまれた、師団の駐屯地を訪れると、まず整然とたち並ぶ褐色の兵舎と練兵場で術科訓練にいそしむ緑色の軍服を着た兵士たちの姿が目に飛びこんで来る。まわりの竹やぶや松林の前には、「警戒心を高め、祖国を
Author: 本誌記者 周南行 羅孚 Year 1977 Issue 49 PDF HTML