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Your search : [ author:本誌記者 黄 衛] Total 2107 Search Results,Processed in 0.079 second(s)
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1971. 大火災後一年の大興安嶺をたずねて
かつて密林地帯だった大興安嶺北麓には、昨年五、六月ここで発生した大火に焼き尽くされた痕跡がいまでもそのまま残っている。百万ヘクタール以上が焼けた森林大火災は、今日の世界で珍しいことであった。木材貯蔵量が全国総量の六分の一以上を占めているこの森林工業基地は、もっともひどい損害をこうむった。火災総面積は百三十三万ヘクタール、焼けた木材貯蔵量は三千六十万立方メートルに達し、大興安嶺林区が開発されてからの
Author: 本誌記者 程剛 封婧 Year 1988 Issue 23 PDF HTML
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1972. 香港の実情に合った政治体制を
香港基本法(草案)は、香港特別行政区基本法起草委員会第七回全体会議での討議を経て、四月末に発表され、香港と国内から広く意見を求めている。これは香港基本法の起草活動が新たな段階に入ったことを示している。香港が将来どのような政治体制をとるかは、人びとが大きな関心を寄せている問題である。記者はこのほど、香港基本法起草委員会の政治体制分科委員会の責任者の一人である北京大学の蕭蔚雲教授と同委員会委員の中国人
Author: 本誌記者 鄒思誠 陳忠蘭 Year 1988 Issue 25 PDF HTML
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1973. 弁護士の役割、日ましに重要に
友人である農民たちが会社に訪ねてきて、いい弁護士を紹介してくれと頼むことが多くなった。彼らは自分と関連した民事上、あるいは経済紛争を、弁護士に、うまく解決してもらいたいのである。このように、弁護士の力にたよって自分の合法的権益を守ろうとする意識が、中国の社会に徐々に形成されつつある。一九七九年から今年の五月までに、中国は五十四の法律と多数の法規·条例を制定した。この立法活動をつづけ、実生活を法によ
Author: 本誌記者 程剛 楊小兵 Year 1988 Issue 28 PDF HTML
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1974. ドイツ民主共和国を訪れて
初めてドイツ民主共和国を訪れ、その首都ベルリンにきたわれわれは、親切な『ホライゾン』の同業者に案内され、市内見物に出かけた。ベルリンの印象二つの先搭を持つニコライ教会堂のところに来た。同業者は、この教会堂は十三世紀に建てられた、ベルリンでもっとも古い建物である、その後ベルリンはだんだん拡大され、いま、人口百二十万、建物の林立する近代都市になったと説明してくれた。第二次世界大戦中、ヒトラーのファッシ
Author: 本誌記者 戴延年 佘端志 Year 1988 Issue 37 PDF HTML
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1975. 改革二十年後のハンガリー
二十年前、ハンガリーは改革運動を開始した。これはハンガリーのみならず、多くの社会主義国にとっても深い意義をもっている。これまでに、改革はどのような変化をもたらしたのか。改革の二十年をどのように過ごしてきたのか。このところ社会主義諸国に新しい改革の波が現れたが、ハンガリーはどのような新しい措置をとっているか。こうした問題を携えて、われわれはハンガリー『サンデーニュース』週報社の招きに応じて、八月中旬
Author: 本誌記者 余端志 戴延年 Year 1988 Issue 39 PDF HTML
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1976. まじめ学生とバイトに精出すもの
一部の大学では食堂の前に露店が現れ、寄宿舎のまわりでは物売りの呼び声が聞こえるといった風景をよく見かける。長沙にある学生数わずか二千人の湖南医学院では、三月から七月までの四ヵ月間に、学生たちが自発的に組織した商売団体が二十余りも現れ、そのメンバーは二百人余りに達した。もともとは学術団体だったグループまでがこうした商売団体に転向している。このほど、北京の人民大学の調査結果では、同大学の四〇%の学生が
Author: 本誌記者 楼新躍 封婧 Year 1988 Issue 50 PDF HTML
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1977. 改革に貢献する労働組合
中国ではいま、改革、開放が行われ、繁栄した経済が建設され、人民の生活改善がはかられている最中である。と同時に、社会の安定と民主政治の発展も促進されつつある。この過程において工会(労組)の寄与するところは大きいものがある。次は工会の指導者が本誌記者のインタビューに応じて発表した談話である。―編集部企業の改造に努力呉畏長春第一自動車製造工場工会主席は、工会の活動は企業の中心任務から遊離することができな
Author: 本誌記者 楊小兵 封 婧 Year 1989 Issue 0708 PDF HTML
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1978. ラサ川のほとりのシャンガ村を訪ねて
一九五九年のチベットの民主改革から、今年で三十年になる。この三十年に、チベットの圧倒的多数を占める農·牧畜民の生活はどんなに変化したのか。その実情を知るため、本誌記者は一月から二月にかけてラサ市郊外の村を訪ねた。ここに掲載するのはそのシリーズの第一編である。 ―編集部「豊かなモデル村よりも、ごくふつうの村を取材したい」と、取材の目的を説明したところ、地方の幹部はラサ市から東南へ八キロ離れたシャンガ
Author: 本誌記者 楊小兵 張威 Year 1989 Issue 11 PDF HTML
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1979. ラサ川のほとりのシャンガ村を訪ねて
三十年このかた、シャンガ村の人口はたえず増えている。治療は無料だし、発病率は下がっている。だが、公衆衛生·保健の面ではまだ満足するにはほど遠い。頭を切りかえる観念革命なしには、徹底した衛生革命もあり得ないだろう。
Author: 本誌記者 張威 楊小兵 Year 1989 Issue 12 PDF HTML
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1980. ラサ川のほとりのシャンガ村を訪ねて
シャンガ村には三十年前と比べ、かなり大きな変化が起きた。だが、ここの文化生活は相変わらず貧弱、単調なため、はつらつとした若者たちはいつもラサに行って楽しむしかない。ラサから数千キロ離れた北京に電話をかけても、数分で通じるのに、わずか八キロしか離れていないシャンガ村とラサとの連絡は非常に不便だ。電話が架設されていないからだ。シャンガ村を管轄するツァイゴンタン郷にもこういう近代的な通信手段はない。海抜
Author: 本誌記者 張威 楊小兵 Year 1989 Issue 13 PDF HTML