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Your search : [ author:本誌記者 余端志 戴延年] Total 2041 Search Results,Processed in 0.107 second(s)
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11. 対外開放の枠組みの最適化をめざす
江蘇省は今後、南部の工業基盤のよい長江沿岸地区を重点開発すると同時に、東部の海浜開発を速め、北部の鉱産物や農業資源も積極的に開発する構えだ。交通運輸面では滬寧(上海=南京)鉄道の電化、新しい長江大橋の建造、江蘇北部の地方鉄道(一本)建設、さらに高速道路(一本)、若干の一級道路、国際空港(一ヵ所)の建設、運河(一本)建設を進める。その他、発電所、化学工場の建設、中低収穫農地の総合開発、既存企業の技術
Author: 本誌記者 戴延年 Year 1991 Issue 46 PDF HTML
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12. 洋浦ルポ:中国最大の外資開発区
一回に三十平方キロの土地使用権を譲渡。しかも期限は七十年。外資による土地の大規模開発は、一度は「主権を損なう」ものとして一部から非難された。しかし、国務院が海南省政府の方針を支持、三月十三日にゴー·サインが出た。記者はその直後、洋浦経済開発区を現地に見た。海南省北西部の儋県県内にある洋浦は面積約百五十平方キロの半島。省都海口市からは百四十キロ。三十平方キロの外資開発区はこの半島の突端。記者の乗った
Author: 本誌記者 戴延年 Year 1992 Issue 22 PDF HTML
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13. 海南省、投資環境の整備すすむ
面積三万四千平方キロ、人口六百六十三万の海南島は一九八八年に省に昇格、かつ経済特別区に指定されて以来、インフラの整備、投資環境の改善に鋭意取り組んできた。それが実を結び、多くの国や地域の実業家とビジネスマンが投資のために海南省にやってくる。 洋浦経済開発区の外資導入による大規模開発についてはすでに本誌第二二号で紹介した。海南省の省都海口市は一九八七年当時二十五平方キロだった面積が大規模開発で五十平
Author: 本誌記者 戴延年 Year 1992 Issue 25 PDF HTML
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14. 「オリエント特急」はここから発車
連雲港で聞いたところによると、新ユーラシア大陸鉄道によるコンテナ輸送の準備がすでに整い、一番列車がまもなく同鉄道東端、連雲港から発車するという。新ユーラシア大陸鉄道は太平洋西岸の連雲港から西へ、隴海線(連雲港=蘭州)、蘭新線(蘭州=新疆)を経由して新疆北部国境のアラタウ峠に達し、そこから国境を越え、独立国家共同体(CIS)、ポーランド、ドイツを経て西の終点のオランダ·ロッテルダムに至る全長一万九百
Author: 本誌記者 戴延年 Year 1992 Issue 40 PDF HTML
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15. 建設中の東方の大港―連雲港
港の水域面積は三十平方キロ。百基のバースを建設でき、年間荷役量は一億トンに達する。新ユーラシア大陸鉄道の東端から鉄道専用綿が何本も連雲港の各埠頭に伸びており、海から運んできた貨物は埠頭で直接貨車に積み込み、編成したあと運び出すことができる。連雲港の埠頭に立って眺めると、沖に互いに連なった島が二つあり、海岸では山が起伏し、連雲港は山と島に囲まれ、水面は広く、水は深く、風なぎ波静かで、百船が行き交う情
Author: 本誌記者 戴延年 Year 1992 Issue 40 PDF HTML
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16. 国際港湾都市の青写真
連雲港市は港湾としての強みを生かし、大型臨海工業の発展に力を入れている。同市はまた、古い文化遺跡に恵まれた都市でもある。王穏郷連雲港市長はこのほど記者に、中国東部の沿海にやがて「海上自由貿易都市」が出現すると語った。それは、連雲港の東西連島につくられる。海岸と東西連島をつなぐ、長さ六千七百メートルの堰堤が一九九三年に完成すると、連雲港が拡張されるだけでなく、東西連島開発の条件もととのう。堰堤の上に
Author: 本誌記者 戴延年 Year 1992 Issue 40 PDF HTML
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17. 泰興―長江下流に出現した新興都市
急速に変化する泰興に進出した外国企業に対し、市長は、決して損をさせない、必ずもうけさせると約束した。泰興の人口は百四十万余、面積は千四百キロ。「県となって千余年の歴史をもつ故郷の泰興が、最近市に昇格したことは、その発展史上重要な節目といえる」―私の故郷でもある江蘇省泰興の北京駐在弁公室主任の張錫湖氏は、こう言って私に帰郷取材を促した。ずっと故郷を離れて仕事をしてきた私は、帰郷の機会が極めて少なく、
Author: 本誌記者 戴延年 Year 1992 Issue 51 PDF HTML
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18. 投資にもってこいの鎮江市
長江デルタに位置する鎮江市は、経済発展の面では遅れたが、その潜在力は大きく、いま海外投資家が続々と訪れている。対外開放都市の江蘇省鎮江市は、三国時代(二二〇~二八0)、呉の都であった。今年十月、「三国名都観光イベント」が五日間にわたって開かれ、内外の賓客八千七百八十四人が参加、そのうち外国人は七百四十二人に達した。参加者たちは名所旧跡に遊び、出し物を鑑賞したほか、成果に富んだ投資商談を行った。イベ
Author: 本誌記者 戴延年 Year 1993 Issue 50 PDF HTML
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19. 三国時代の名―鎮江
鎮江は、多くの名所旧跡があり、歴史文化と重点観光都市として知られ、内外の観光客を引き付けている。記者はまず北固山を遊覧した。地元の人が「北固山には三国時代の呉の遺跡がたくさんある。中でも甘露寺が最も有名だ」と言ったからである。北固山は険しく、鎮江の北東部を流れる長江のほとりに腹這いになって伏している竜のようだ。山の入口に来ると、体に鎧をまとい、手にほこをもった兵士が道の両側に立ち並び、「孫」という
Author: 本誌記者 戴延年 Year 1993 Issue 50 PDF HTML
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20. 二灘発電工事に多くの国が参加
二灘水力発電所は建設中の中国最大の水力発電所であり、工事費の一部は世界銀行借款を利用し、国際入札を行った。二灘には四十余ヵ国から来た五百名近くの要員が集まっている。中外各方面の協力の下で河道締め切りを完成した。四川省南部の攀枝花市から長江上流の金沙江峡谷に沿って延びる道路を行くと、まもなく道がふたまたに分かれる。そこからが長江支流、雅礱江だ。さらに雅礱江沿いの道路を車で行くと、まもなく二灘に着く。
Author: 本誌記者 戴延年 Year 1994 Issue 05 PDF HTML