Current Location: Home » Full Text Search
Your search : [ author:本誌通信員 蔣鵬] Total 40 Search Results,Processed in 0.127 second(s)
-
11. 洞庭人民公社を訪れて(二)
洞庭人民公社の管理機構は、東山町の中心部に設けられている。洞庭人民公社に着いた日の午後、われわれは人民公社の指導者を訪ねた。ところが、広い構内に並んでいる事務室には、ほとんどカギがかかっていた。やっと、民政事務室でひとりの同志をみつけた。この人は丁度、一組の男女青年のために結婚登録の手続をしているところだった。そのそばに、もうふたりの人がいる。ひとりは除隊軍人、ひとりは中学卒業生、仕事の振当てを待
Author: 本誌通信員 本誌記者 Year 1973 Issue 14 PDF HTML
-
12. 洞庭人民公社を訪れて(三)
太湖に臨む風光明媚な洞庭人民公社で、われわれは公社経営の企業をいくつかと、生産大隊、生産隊をそれぞれ訪れて、人民公社所有制の大体の状況をさぐってみた。現段階では、農村人民公社の集団所有制は一般的に人民公社、生産大隊、生産隊の三段階に分かれている。人民公社の生産手段―耕地、山林、水面、農機具、牧畜、小型の工場、鉱山など―は、それぞれ人民公社、生産大隊、生産隊の所有に属する。この三級所有制のうち、人民
Author: 本誌通信員 本誌記者 Year 1973 Issue 15 PDF HTML
-
13. 洞庭人民公社を訪れて(四)
われわれは、晨光生産大隊第八生産隊で、三十三歳の生産隊長蔡竜竜さんに会った。晨光生産大隊第八生産隊には正、副隊長が各一名、隊委員が七名いる。この九名のうち、六名は貧農(解放前の家庭の経済的地位をさす)出身だ。かれらは集団指導をおこない、政治·思想、生産、財務、婦人、民兵などの仕事をそれぞれ分担している。隊長と隊委員は公社員によって民主的に選出され、いずれも生産から離れない。一九七二年の春、第八生産
Author: 本誌通信員本誌記者 Year 1973 Issue 16 PDF HTML
-
14. 洞庭人民公社を訪れて(五)
われわれは、果物の生産を主とする、全人民公社のうちでも生活程度が中ぐらいの緑化生産大隊第二生産隊を選んで、公社員の家庭を訪れることにした。バスが緑化生産大隊にさしかかると、まず目に映ったのは、あたり一面の山野をうずめるびわ、やまもも、茶、きんかんの木だ。村に入ると、軒をならべる新しい家屋、なん本かのきちんとした清潔な通りが、目にとびこんでくる。われわれは生産隊の隊長葉さんの家をさがしあてた。葉さん
Author: 本誌通信員 本誌記者 Year 1973 Issue 17 PDF HTML
-
15. 洞庭人民公社を訪れて(六)
洞庭人民公社の農業生産は、作物の種類が多く、農作業も種々雑多だ。だが、婦人たちの動員がうまくいっているので、労働能力のある婦人は一人のこらず集団的生産労働に参加している。労働力不足の問題が大体解決されているのは、そのためだ。ある公社員はこういっている―「婦人は『天の半分をささえる』とよくいわれるが、うちでもそうですよ」。人民公社革命委員会で全公社の婦人工作を担当している副主任金志芳さんは、聡明で、
Author: 本誌通信員 本誌記者 Year 1973 Issue 18 PDF HTML
-
16. ある県の銀行
中国では全国解放後、人民政権が官僚資本主義の銀行を没収し、私営の銭荘を一歩一歩改造して、統一的な社会主義の国家銀行―中国人民銀行を設立した。中国人民銀行は全国各地に分·支行(支店)機構を設けている。各省、市には分行、区、県には支行、工場、鉱山、町には弁事処、分理処、営業所、貯蓄所といった具合である。北京市西南郊外の房山県支行は、人民銀行の全国数千の県支行中の一つだ。われわれはこの支行を訪れた。そし
Author: 本誌通信員 本誌記者 Year 1973 Issue 22 PDF HTML
-
17. 武昌蜂起の跡を訪ねて
一九一一年十月十日、革命党の人たちはまず、武昌で、清朝打倒の武装蜂起をおこなった。栄えある革命の伝統をもつ武漢には、偉大な革命の先駆者孫文とその戦友黄興の銅像が立っている。辛亥革命のノロシを上げた武昌蜂起を記念して、名づけられた大通り―「中山大道」、「三民路」、「彭劉楊路」、「烈士街」、「首義路」、「黄興路」などは、数十年を経た今日、なおその名を留めている。辛亥革命七十周年を迎えるため、武昌蜂起の
Author: 本誌通信員 華年輪 Year 1981 Issue 38 PDF HTML
-
18. 就業に可能性拓く
五年前に訪れたことのある、中国でももっとも北に位置する黒竜江省の町―チャムス(人口五十二万)を再訪することになった。五年前はどこか生気に欠けた感じを受けたものだが、行ってみるとガラリと変わっていた。大通りも路地も、大小さまざまな商店、屋台が並び、道ばたに物をならべて売っている人もたくさんみかけられ、商品販売車もかなり出ていた。商店の多くは営業時間を延長し、「夜の市」も大盛況である。チャムス市政府で
Author: 本誌通信員 沈延太 Year 1981 Issue 44 PDF HTML
-
19. 出産についての考え方の変化
中国は七〇年代初頭に計画出産政策を実施して以来、農村における計画出産の知識の普及を重要な仕事としている。農村には、子供、とくに男子を多く生みたがる伝統的な思想の影響がいまなお普遍的にあるが、出産に対する多くの農民の考え方に変化が生じた。経済発展のはやい地区ではとくにそうである。遼寧省金県は一つの好例である。 ―編集部金県は今年の人口予測で、全県の人口増加が計画より低いことに気付いた。それは、計画出
Author: 本誌通信員 慕愛平 Year 1986 Issue 48 PDF HTML
-
20. 無公害都市をめざす洛陽
洛陽は古い都市であり、中国史上ここに都をおいた王朝も多く、有名な竜門石窟は数多くの内外の観光客を引き付けている。洛陽はまた新興工業都市でもあり、一九四九年以来、数百の工場が建設される(本誌一九八六年第三五号の洛陽紹介を参照)とともに、環境保護に力が入れられた。洛陽市民は文化の薫陶を享受できるし、青空、山、水、緑と花のあるすばらしい環境を十分に楽しむこともできる。洛陽は延長二十キロの帯状都市であり、
Author: 本誌通信員 陳朝中 王耕 Year 1987 Issue 2 PDF HTML