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Your search : [ author:本誌記者 孫平] Total 2048 Search Results,Processed in 0.124 second(s)
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2041. 第八回中日経済シンポジウム
日本経済新聞社と人民日報社の共催による「第八回中日経済シンポジウム」が十一月十五日、東京·日経ホールで開催され、朱鎔基総理と小渕恵三首相がそれぞれ祝賀メッセージを寄せ、シンポジウムの円満な成功を祈った。鶴田卓彦·日本経済新聞社代表取締役社長と邵華沢·人民日報社社長の挨拶につづいて、「改革と協力―二十一世紀への課題」のテーマをめぐって、基調講演が行われ、両国の関係者たちは各自の見解や提案を述べ、意見
Author: 本誌東京特派員 賀雪鴻 本誌記者 林国本 Year 1999 Issue 48 PDF HTML
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2042. 岡崎嘉平太先生を悼む
九月二十二日朝、岡崎嘉平太先生が当日午前二時に不幸にも逝去されたとのニュースをNHKが流したことを知り、私には信じられなかった。それはなんとも突然なことだったからだ。というのは、私はずっと前に、王震国家副主席が九月二十八日に岡崎先生を招宴するから出席するようにとの知らせを受け取っていたからだ。先生はわが国の建国四十周年記念行事に参加し、さらに中国国際信託投資公司が創設十周年を記念して開く経済シンポ
Author: 孫平化 Year 1989 Issue 41 PDF HTML
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2043. 周総理と中日関係(上)
今年三月五日は、周恩来生誕九十周年にあたる。周総理は生前、中日友好のために多くの仕事をした。この中国の偉人の生誕九十周年を記念するため、長期にわたって中日友好活動にたずさわっている孫平化、王効賢氏が「桜の満開のごろ、園丁を偲ぶ」を執筆し、中央文献出版社出版の『尽きない思慕』に収録された。ここにこの文章を訳出して、日本の広範な読者におくる。
Author: 孫平化 王効賢 Year 1988 Issue 15 PDF HTML
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2044. 周総理と中日関係(下)
われわれに残してくれたもの新中国成立後の二十数年にわたる対日活動のなかでなされた重要な政策決定はいずれも周総理が深思熟考した結晶であり、重要な関頭に示された前進の方向はいずれも周総理が決めたものである。たとえ小さな具体的活動であっても、周総理はそれをおろそかにしなかった。彼は、外交活動はどれもこれも重要であるから、決して軽視してはならないとつねに教えた。周総理はいつも謙虚に、自分は毛主席の戦略的決
Author: 孫平化 王効賢 Year 1988 Issue 16 PDF HTML
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2045. 古井喜実氏を偲ぶ
今年二月三日、中国人民の争友、日中友好会館名誉会長の古井喜実氏が亡くなり、永遠にこの世を去っていった。もう二度と古井氏に逢えなくなり、氏とひざを交えて話し合うこともできなくなった。古井喜実氏は一九五九年十月十九日、松村謙三氏に同行して中国を訪問したその日から、三十数年もの間一日たりとも日中関係を改善し、発展させ、日中友好に献身する事業を離したことがなかった。一九五九年に「長崎国旗事件」(長崎で中国
Author: 中日友好会会長 孫平化 Year 1995 Issue 9 PDF HTML
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2046. 「私と日本」
私と日本との関係は、溯れば五十年以上になります。五十年前、私は一留学生でした。留学生の時、日本に対する感情は国際情勢、中日関係、歴史的な環境等に影響されました。私が留学している間、ちょうど中日戦争の最中でありましたので率直に申しますと、私は日本に対し好感を持ちませんでした。自分の祖国を救うため、真理を求め、マルクス主義を信仰し、革命の道に入ったわけです。戦後、中華人民共和国が誕生して間もなく、私は
Author: 中日友好協会会長 孫平化 Year 1990 Issue 32 PDF HTML
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2047. 中日関係の回顧と展望
本文は中日友好協会会長孫平化氏が一月二十七日北京の日商会主催の報告会でおこなった演説である。本誌掲載にあたり、一部削除した。 ―編集部今の中日関係は一口で言えば非常に良好な状態にあります。健全かつ順調に発展しています。両国の間に友好関係の発展を妨げる難しい政治問題はありません。しかし、今日のような大変よい局面が開かれたのは本当に容易なことではありませんでした。顧みれば戦後の中日友好はすでに四十年の
Author: 中日友好協会会長 孫平化 Year 1992 Issue 10 PDF HTML
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2048. 創刊のころの思い出と今後への期待
北京週報日本語版(以下日本語版と略称)は今年、孔子の言う「而立(三十歳)」の年を迎えることになった。ひとりの人間にたとえるなら、大人になったばかりでなく、中年の入り口にさしかかった時期といえる。創刊三十周年にあたり、熱烈な祝意を表したい。日本語版が生まれる前後の二、三のことはいまでもわたしの記憶に深く残っている。当時、国務院外事弁公室の仕事をとりしきり、党中央で対日活動を指導していた廖承志氏は、日
Author: 中日友好協会会長 孫平化 Year 1993 Issue 31 PDF HTML