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Your search : [ author:本誌記者 田三松 趙一鷗] Total 2041 Search Results,Processed in 0.088 second(s)
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201. この三年間の歩み
十八日間にわたる今代表大会は、中国の文学·芸術界のかつてない盛んな集いといえるものであった。これだけ大勢の人が一堂に会し、卒直に話しあい、熱気のこもった討論をくりひろげたことはかつてない。この大会は一九六六年以降、十年間もつづいた文化的専制がすでに打破されたことを示すメルクマールである(その名残りがまだ多少あることは否めないが)。中国の文学·芸術がすでに百花咲きほこる状況に達したというにはまだ時期
Author: 本誌記者 凌揚 Year 1979 Issue 52 PDF HTML
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202. どんな人材を育てるのか
この三年らい、中国の学校教育は次第に正常に戻り、文化大革命前の有益な若干の方法、例えば、学生に対する政治思想教育、教学、基礎知識学習、基本技術の訓練、大学の全国共通入試制度などが改革されて復活した。
Author: 本誌記者 何作 Year 1980 Issue 1 PDF HTML
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203. 昨年の就職者、七百万人
中国では昨年一年間に七百万人が就職した。十数年前から就職できないでいた人も含め多くの問題が解決した。どうしてこれが可能になったのか。この特集はその背景を解明するとともに、大都市と中小都市のそれぞれの解決法をもあわせて紹介するものである。国家労働総局局長とのインタビュー康永和国家労働総局局長との質疑応答は次の通り。問 主としてどんな人を優先的に就職させたのか。答
Author: 本誌記者 魏民 Year 1980 Issue 6 PDF HTML
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204. 中国の工場とその労働者
中国には三十四万八千にのぼる工業企業体がある。そのうち、全人民所有制に属する国営企業は八万四千で、従業員は七千四百五十一万人。勤労大衆による集団所有制に属する企業体は二十六万四千で、従業員は二千四十八万人。後者は主として中小企業である。
Author: 本誌記者 向栄 Year 1980 Issue 11 PDF HTML
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205. 中国の知識人は労働者階級の一構成部分
中国は社会主義現代化を建設する過程で、知識人が日ましに重要な役割を果たしている。九億の人口を擁する中国には、知識人がどれぐらいいるのか。知識人の過去と現在の状況はどうか。共産党の知識人政策はどのようなものか。この特集は歴史の回顧と二人の有名な知識人の経歴と感想を紹介する。歴史の回顧中国の社会主義建設のなかで、労働者、農民、知識人の同盟に依拠することは、共産党が早くから確定した方針である。だが、この
Author: 本誌記者 羅孚 Year 1980 Issue 13 PDF HTML
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206. 今日の中国の農村生活
中国の農村人口は八億、全国に五万余の人民公社がある。人民公社で農民、農村幹部はどのように仕事をし、生活しているかについて多くの読者からたくさんの質問がよせられている。そこで、本号では江蘇省無錫県の三十五の人民公社の一つである前洲人民公社の実情を紹介する。前洲人民公社江蘇省の無錫から西北へ車で三〇分ばかり走ると前洲人民公社に着く。この公社の面積は三十五平方キロ、人口三万六千。稲作を主とし、工業、副業
Author: 本誌記者 京華 Year 1980 Issue 15 PDF HTML
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207. 鑑真和上像の里帰りに同行して
いまから千二百二十七年前、日本学問僧の招きで、想像を絶する苦難の末に日本渡航を果たし、日本にはじめて仏教の本然をもたらした唐の高僧鑑真の座像がさる四月十三日午後、ついに里帰りを実現した。午後五時(日本時間同六時)、座像を収納した頑丈な二重のジュラルミン製コンテナを積んだ日航チャーター機が春雨のそぼふる上海空港のフィンガーに到着した。和上の座像はついに母国の大地にまちがいなく「着地」したのである。一
Author: 本誌記者 林国本 Year 1980 Issue 17 PDF HTML
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208. 中国の民族ブルジョアジー―その過去と現在
中国では封建的搾取制度と資本主義的搾取制度が姿を消した。農村における搾取階級の消滅と地主、富農に対する改造についてはすでに本年第三号で報じた。
Author: 本誌記者 紀哲 Year 1980 Issue 17 PDF HTML
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209. 北京での鑑真和上像展
新緑と花の季節の揚州·大明寺で盛大にとりおこなわれた日本国宝鑑真和上像揚州展は二十万を超える参観者を迎え、和上の故郷揚州ばかりでなく、中国各地に反響を巻き起こしつつ成功裏に幕を閉じた。中国の各新聞、雑誌、ラジオ、テレビは、中日両国人民のとこしえの友情のシンボルともいえるこの行事を大きくとりあげた。四月二十九日、鑑真和上像をのせた中国民航機が初夏の日射しもまぶしい北京空港に到着した。森本孝順長老、和
Author: 本誌記者 林国本 Year 1980 Issue 19 PDF HTML
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210. 華国鋒総理の訪日に随行して
一衣帯水の友好的隣邦に到着五月二十七日 火曜日二十七日の朝、北京の空は雲ひとつなく、天気までが華総理の訪日を祝しているようだった。午前七時四十分(日本時間八時四十分)、随行記者団は華総理の特別機で北京を離れ、上海経由で東京へと向かった。長江河口が後方に遠ざかってから一時間余り、翼の下の青々とした海に薄緑色の帯状の陸地が見えて来た。左側は鹿児島、右側はあの有名な桜島火山だ。前方の緑色の山頂に円形の農
Author: 本誌記者 劉茂芳 Year 1980 Issue 23 PDF HTML