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Your search : [ author:本誌記者 王喜金] Total 2041 Search Results,Processed in 0.105 second(s)
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231. 小·中学校の「勤工倹学」
中国の小·中学校には、たいてい小工場や作業場(刺しゅうから電気製品の組立まで)があり、校外に土地をもっている学校もある。そこでは、六歳から十七歳までの児童、少年たちが先生や労働者に指導されて簡単な労働を行ない、その収入の大部分は学校に納められる。このような労働は、「勤工倹学」と呼ばれ、あるいは、「教育と労働の早期の結合」ともいわれている。状況と成果中国には、百万の小·中学校があり、そのうち、勤工倹
Author: 本誌記者 李永増 Year 1982 Issue 45 PDF HTML
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232. チベット見聞記(二)
「民族地域自治」の成否は、その民族の幹部がカギを握っているといえるだろう。そこで本号では、チベット自治区におけるチベット族幹部の状況を見てみることにする。二百人から三万人へ今回の取材中、ラサをはじめ各県都あるいは牧畜地区で、党、政府あるいは各職能部門で応待してくれたのはほとんどチベット族の幹部だった。平和解放初期の一九五一年の状況を見ると、チベット全体でもわずか二百人にすぎなかったのが、八一年末で
Author: 本誌記者 経緯 Year 1982 Issue 48 PDF HTML
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233. 廃墟の上に再建された都市
一九七六年七月二十八日、唐山を襲ったマグニチュード七·八の直下型大地震ほど人民の生命、財産に大きな被害をもたらした自然災害は、近代ではあまり例がない。夜明けに起こった二十三秒間の激震で、一世紀の歴史と百六万の人口を擁する都市が廃墟と化し、二十四万もの人が命を奪われたのである。地震のあと、唐山は地球から消えてなくなった、再建には少なくとも二十年はかかるだろう、と驚きの声をあげた外国の新聞は少なくなか
Author: 本誌記者 李霞 Year 1982 Issue 48 PDF HTML
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234. チベット見聞記(三)
「ここがギャンズェ?」ラサを車で出発、五千三百メートルのシェカラ峠を越え、ヤルンズアンボ江を渡り、四百キロ以上走って古都ギャンズェに着いた時、思わず一種の失望感を覚えた。大きなビルもないし、繁華街やアスファルト道路もない。目に入るものは、混在する農地と住宅、簡易舗装の道路の両側を流れる用水路の水。ギャンズェはもともとチベットの「大都市」の一つと聞いていたが、来て見れば農村の一つの町にすぎない。ここ
Author: 本誌記者 経緯 Year 1982 Issue 49 PDF HTML
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235. チベット見聞記(四)
解放前のチベットには近代産業としての工業はないに等しかったが、民族的特色に富む手工業はかなり盛んだった。じゅうたん、革のブーツ、長持ち、金銀糸で刺しゅうしたフェルト帽、スー油桶、金銀製のネックレスなどが代表的だが、とくにチベットじゅうたんは有名だ。先週号で紹介したギャンズェ(江孜)はそのじゅうたんの特産地でもある。六百年以上の歴史があるといわれるギャンズェのチベットじゅうたん作りの現状を中心に、今
Author: 本誌記者 経緯 Year 1982 Issue 50 PDF HTML
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236. 復活した信仰の自由
信仰の自由は中国の一貫した基本政策の一つである。だが、「文化大革命」中は正常な宗教活動も禁止され、多くの寺が閉鎖あるいは破壊された。これは全国で起きた現象だが、とくに、ほとんどの民衆が仏教を信仰していたチベットで際立った。「四人組」粉砕から六年たったいま、チベットでは党の宗教政策がふたたび実施され、寺院も開放され、だれもが正常な宗教活動を自由に行なえるようになっている。香りたえぬチョカン寺夕刻、ラ
Author: 本誌記者経緯 Year 1982 Issue 51 PDF HTML
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237. 権力を行使する人民
十二月十日午後、第五期全国人民代表大会第五回会議の閉幕式に、勇壮な国歌―『義勇軍行進曲』がひびきわたった。「起て!奴隷となることを望まぬ人びとよ!われが血肉で築こう新たな長城を……」。この歌声は、代表たちを四〇年代の硝煙たちこめる戦場へ引き戾し、治にいて乱を忘れぬ思いを新たにさせた。この歌声に、代表たちは人民から授けられた権力をいまここに行使していることを強く意識させられていた。田漢作詞、聶耳作曲
Author: 本誌記者 之葉 Year 1982 Issue 52 PDF HTML
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238. 高等教育の現状と展望
高等教育は経済·文化建設に必要な専門知識をそなえた人材を養成する重要な手段である。教育事業は、第十二回党大会で農業、エネルギー、交通、科学とともに国民経済発展の戦略的重点の一つとして位置づけられたが、高等教育は今後数年間にどのように発展するだろうか。成果と問題新中国成立後三十三年このかた、高等教育は大きな成果をあげ、大学卒業生は三百五十四万人にのぼり、過去四年問だけでも六十万人に達しており、かれら
Author: 本誌記者 肖潜 Year 1983 Issue 6 PDF HTML
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239. ゴビに生まれたニッケル鉱の街―金昌
金昌市は、最新の中国地図にしかのっていない新興都市。ここで開発された金川ニッケル鉱山は埋蔵量が豊富で、硫化ニッケル鉱はカナダについで世界第二。本稿は同地で取材した本誌記者のルポである。 一編集部一九八一年二月、西安の西方千キロ、「シルクロード」が横切るゴゼ砂漠に、新興工業都市―甘粛省金昌市が誕生した。この中国最大のニッケル工業基地は、ニッケルその他の金属を生産する国営金川非鉄金属公司を基盤として発
Author: 本誌記者 韓宝成 Year 1983 Issue 9 PDF HTML
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240. 北京周報、創刊二十五周年を祝う
北京周報英語版が創刊されてから今年三月五日で二十五周年になる。二十五年前、雑誌づくりの経験のない二十数人の若者がふるいタイプライターを使い、苦心に苦心をかさねたすえ、新中国はじめての英文週刊誌をつくった。それ以後、北京周報の事業は発展し、いまでは二百二十五人の職員を擁し、英語のほか、日、仏、独、スペイン語版も出版するようになり、発行部数も当初の数千部から十万部に増え、百五十余の国と地域に送られてい
Author: 本誌記者 劉有源 Year 1983 Issue 11 PDF HTML