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Your search : [ author:本誌記者 国風] Total 2041 Search Results,Processed in 0.097 second(s)
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301. 千載一遇、一遇千載の記念行事
今年は弘法大師(空海)入定千百五十年ご遠忌にあたる。日本各地でもさまざまな記念行事がおこなわれたが、中国でも千百八十年前に弘法大師が入唐求法したとき、恵果阿闍梨の教えを受けたといわれる西安市·青竜寺東塔院跡に建立された「恵果空海記念堂」で、盛大な落成法会がおこなわれた。日本真言宗各派総大本山会、日中友好真言宗協会は、阿部野竜正真言宗各派総大本山会代表総務·日中友好真言宗協会委員会委員長を総団長、松
Author: 本誌記者 林国本 Year 1984 Issue 39 PDF HTML
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302. 天津市長―李瑞環
中国の三直轄市の一つ天津市の李瑞環市長はことし五十歳。三十五年前、人民共和国が誕生したころには、天津市の近く宝坻県の貧農家庭のごくありふれた少年だった。だが、いまでは七百八十三万の人口をかかえる中国第二の工業都市の市長をつとめ、就任して二年あまりのあいだに、天津市民にとって多くの有益な事業をおこした。記者も天津での取材中、李市長を称賛する声をあちこちで耳にした。大工一九五一年、十六歳のとき、北京第
Author: 本誌記者 陸雲 Year 1984 Issue 40 PDF HTML
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303. ふるさとを訪ねて
腹がふくれれば、それだけで大満足というのはいまや歴史になってしまった。いまは何をさかなにして酒を飲もうか、どの名著を読もうか、芝居にするか、歌と踊りにするか、それとも家でテレビを楽しむかが、華東のある県の農民の生活だ。わたしの郷里は北京から千キロ以上も離れた長江下流の北岸、江蘇省泰興県―千三百平方キロに百三十余万の人口が住むごく普通の県にある。輝かしい成果をおさめて新聞紙上に報じられるところとはち
Author: 本誌記者 戴延年 Year 1984 Issue 41 PDF HTML
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304. 北京で中日青年の弁論大会
初の中日青年友好交流中国語日本語弁論大会が九月三十日午後、北京外国語学院で行なわれ、十八名の両国の青年がそれぞれ相手国の言葉で熱弁をふるった。八尾昌里全日本太極拳委員会青年代表団団員ははっきりした中国語で「北京の月」と題して話した。彼女は、日本の近代的工業の発展が大自然に汚染などの問題をもたらしたことを指摘し、ユーモアたっぷりに、「『外国の月は中国の月よりまるい』という言葉を耳にしたことがあるが、
Author: 本誌記者 過放 Year 1984 Issue 41 PDF HTML
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305. バトンを引き継ぎ、未来をめざす
「今回の日中青年交歓は長い間、待ち望んでいたものだ」―日本青年団協議会(日青協)代表団の中野直行団長の口からも、他の日本青年と同じ言葉が期せずしてもれた。中野団長はさらに語る。「中国には“水を飲むときには井戸を掘った人のことを忘れるな”という言葉がありますが、両国関係の今日あるのは、ひとえに先輩たちが日中友好の基礎がためをしてくれたおかげです。この交歓にも日中友好に貢献した諸先輩がおられますが、わ
Author: 本誌記者 呉迺陶 Year 1984 Issue 42 PDF HTML
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306. 中国農民の創意
ここ数年、中国農村に起きている大きな変化は国内はいうまでもなく外国でもますます多くの人たちの知るところとなった。こうした変化を促すにいたった主な原因は、生産責任制の普遍的実施とそれによる影響とみるべきであろう。読者の中には、生産責任制についてまだいくつかの疑問をもっている人もおり、もっと系統的な紹介をしてほしいという要望もある。 本誌記者はこうした要望に応えるため、関連指導機関をはじめ安徽省、河南
Author: 本誌記者 陸雲 Year 1984 Issue 44 PDF HTML
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307. 中国の「西部」―青海省
昨年、中国共産党中央が今世紀末に国家経済の開発の重点を広大な西北地区(青海、新疆、甘粛、寧夏、陝西)に移す方針を提起して以来、青海省の建設は急ピッチですすめられており、甘粛から青海に通じる何本かの鉄道、道路を、建設資材を満載した列車やトラックがひっきりなしに走っている。同時に、一人しか乗れないようなロバの引く小さな車の列も「機械化部隊」の後に従い、あわただしく青海に向かっている。かれらは許可を得て
Author: 本誌記者 李永増 Year 1984 Issue 44 PDF HTML
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308. 責任制は資本主義への後退か
いま中国の農村で実施されている責任制では、各農家が農業生産の経営単位となるのだから、資本主義諸国の農家(あるいは農場主)と同じようなものではないか、と思っている人が少なくない。なかには、資本主義のやり方だと言う者さえいる。果たしてそうだろうか。まず、農民の話に耳を傾けてみることにしよう。農民の見方記者が安徽省鳳陽県で取材した農民の呉鳳啓さんは語る―「去年、わたしの家では、穀物で二十五トンの収穫をあ
Author: 本誌記者 陸雲 Year 1984 Issue 45 PDF HTML
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309. 貧富の差
中国の農村では、責任制が実施されるようになってから、一部の農民が先に豊かになり、貧富の差が現われている。では、これは一部でいわれているように、果たして資本主義の両極分化なのだろうか。みんなが前進「請負制が始まってからというもの、みんなが競走しているようなもので、足の速いものが前に出、体の弱いものは後になる。だが、速い遅いはあるにせよ、みんなが前進している」。中国の農民は現在の状況をこう例えている。
Author: 本誌記者 陸雲 Year 1984 Issue 46 PDF HTML
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310. もっとも早く開放された「窓口」広州
広州は、中国の沿海十四開放都市のなかでもっとも早くスタートを切った。他の都市がまだ外資導入を始めたばかりか、その準備に取り組んでいたころ、ここでは十一億ドルもの外資を導入し、しかもかなりの成果をあげていた。この「窓口」を通して、対外開放政策の実施状況と今後の展望を探ってみよう。南の玄関珠江河口に位置する広東省の省都広州は、むかしから中国南部の玄関となっていた。秦代(前二二一~二〇七)にできたこの町
Author: 本誌記者 丁耀琳 Year 1984 Issue 47 PDF HTML