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Your search : [ author:本誌記者 田三松 趙一鷗] Total 2041 Search Results,Processed in 0.116 second(s)
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371. 南京大虐殺―現代史の暗黒の一ページ
抗日戦争勝利四十周年記念行事に参加するため、記者は酷暑をおかして、江蘇省の省都南京市を訪れた。市の中心部に聳え立つ三十七階建ての金陵飯店と郊外区の若干の工業企業および五、六ヵ所の新団地の建設は、同市が活気にあふれ栄えていることを示しているが、その山水と楼閣およびあおぎり並木の街路は、十代の王朝が都をおいたこの古都の独特な風格を保っている。しかし、この美しい都市は半世紀近く前に、世界でもまれに見る大
Author: 本誌記者 丁耀琳 Year 1985 Issue 34 PDF HTML
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372. 現代化の風吹く仏教の聖地
今年の九月一日はチベット自治区成立二十周年にあたる。その前に本誌はカメラマンと記者を派遣して取材にあたらせた。次はチベット訪問記の第一篇である。
Author: 本誌記者 周諍 Year 1985 Issue 34 PDF HTML
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373. 中国三誌普及の先駆者
中国三誌(北京周報、人民中国、中国画報)第四次訪日代表団は、静岡県「中国三誌」普及会、静岡県日中友好協会、静岡県日中友好協議会の招きで今年六月、静岡県を訪問しりた。滞在期間中、日本のすばらしい風景と現代化の水準から良好な印象を受けた。印象がもっとも深かったのは、日本友人が親しみをこめて友好的にわたしたちをもてなしてくれたことであり、元衆議院副議長勝間田清一氏はじめ各地の行政責任者ならびに各界の人び
Author: 本誌記者 陸雲 Year 1985 Issue 35 PDF HTML
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374. 装いを新たにしつつある「この世の楽園」―杭州
杭州では、一連の効果的な措置によって、西湖の汚染がまぬがれ、美しい自然風景は保護され、その発展の前途は人びとを引きつける。だが、交通問題は依然として解決がむずかしく、立ち遅れた都市建設も早急な改善が待たれており、外資の協力が必要である、といえよう。杭州の夏は大変暑く、今年の夏は三十八度にも達したが、その暑さもあちこちからぞくぞく押しかける大勢の観光客の足を止められなかった。わたしもこの観光客にまじ
Author: 本誌記者 剣川 Year 1985 Issue 36 PDF HTML
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375. 農業に立脚する湖南省
七〇年代初期に、湖南省省都長沙市東郊の馬王堆で、二千百年余り前の古い墓が発掘され、内棺に収められていた女性の遺体は保存状態がよく、全身に弾力があって、四肢の関節もある程度曲げることができた―この女性の遺体はいま省博物館で展示されている―この発掘はその時全世界をわきたたせた。また注目すべきことに、副葬品の中に、竹カゴに収められた食糧、果物、さまざまな肉食品、食物および酒類等のおびただしい食品があり、
Author: 本誌記者 鄭方堃 Year 1985 Issue 37 PDF HTML
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376. 昔の農奴と領主を訪ねて
旧チベットは、出身階級がひじょうに厳格に画分される封建農奴制社会であった。区内総人口の五%を占める三大領主(貴族、寺院の上層ラマ、旧地方政府の役人)はすべての耕地、牧場、家畜のほとんどを占有していたが、区内総人口の九五%を占める農奴と奴隷は何一つ持たず、自由の身でさえもなかった。一九五九年に民主改革が行なわれてからもう二十六年になる。昔、社会のどん底の生活をしていた人びとの今日の生活はどうなったか
Author: 本誌記者 周諍 Year 1985 Issue 37 PDF HTML
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377. 科学によって高原の生活を改善
チベットの伝統的文化は、文学·芸術だけでなく、科学の面でもユニークなものをもっている。広く知られていないかも知れないが、十九世紀において自然科学の面で三つの大きな発見があった。その一つとしてダーウィニズムの中の若干の観点は、十三世紀に出土したチベット医学書の中でも見つけることができる。悠久な歴史をもつチベット医薬学自治区チベット医病院の院長チャムバチリェ(強巴赤列)氏(五六)の案内で、わたしたち北
Author: 本誌記者 周諍 Year 1985 Issue 38 PDF HTML
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378. 中日友好を促進しよう
最近、本誌記者は昨年訪中した三千名の日本青年のいく人かを訪ねて、広範な日本青年は二十一世紀に向かう日中友好のかけ橋であり、二十一世紀はいっそう友好の世紀になるであろう、という強い印象を持った。多くの日本青年は昨年、中国を訪問して帰国してから、各分野においてさまざまな形式で積極的に二十一世紀に向けた日中友好の偉大な事業を促している。柳本嘉昭日中友好協会全国青年委員会委員長は、記者に次のように語った。
Author: 本誌記者 祝寿臣 Year 1985 Issue 39 PDF HTML
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379. 中国語は世界にひろがる
一九五三年春、二十歳のオットー·ラドシュテッターという青年はオーストリア西部のチロル州からウィーンにやってきた。人びとは、彼が中国語を勉強したいと聞いてびっくりした。さいわい、当時、ウィーン大学に中国人が一人おり、彼の願いが実現した。こうして、ラドシュテッターさんは当時、オーストリアの唯一の中国語を勉強する大学生になった。三十二年が過ぎ去った。現在、ラドシュテッター氏は博士になり、ウィーン大学中国
Author: 本誌記者 韋黎明 Year 1985 Issue 39 PDF HTML
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380. 国営企業活性化のための改革
企業、とくに中核企業の活性化を中心とする都市経済改革は、数年の試行と準備を経て、ついに一九八四年十月に全面的に展開された。国家経済委員会の最新の調査によると、全国の五千八百の国営中核企業(その固定資産と納税·利潤上納額はいずれも全企業のそれの半分以上を占める)のうち、一応成果をあげたものは一五%に達したという。ここに紹介する西北国営第五綿紡績工場はそのうちの一つである。 ―編集部古都西安は、二千年
Author: 本誌記者 韓宝成 Year 1985 Issue 41 PDF HTML