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Directory Of Year 1963, Issue 1
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ブルジョア国有化問題

Year:1963 Issue:1

Column: 文章

Author: 有林

Release Date:1963-07-05

Page: 14-21

Full Text:  

いま、マルクス·レーニン主義の基本的な革命原理は、ユーゴスラビアのチトー一味を代表とする現代修正主義者のためごれまでにないひどい歪曲と侮辱をうけている。プロレタリアートの革命とプロレタリアート独裁の学説はマルクス·レーニン主義の大切な理論上の砦であり、このため現代修正主義者のとくに気ちがいじみた攻撃をうけている。ユーゴスラビアのチトー一味を代表とする現代修正主義者は右翼社会民主主義者と同様、この基本原理を骨ねきにするにあたって、国家独占資本主義、とりわけブルジョア国有化の問題でおおげさに騒ぎ立てている。かれらは、国有化を中心とした一連のいわゆる「改革」を実施することこそ、プロレタリアートが独占資本に反対する新しい闘争の方式と方法であり、社会主義へ進むあらたな道であると極力吹聴している。ブルジョア国家の国家独占資本主義には多面的な内容(国家投資による企業の創設、民間企業の国有化、財政、金融など各種の方法による国民経済の統制など)がふくまれているが、国有化はそのうちの重要な一側面である。本文ではブルジョア国有化の現状、ブルジョア国有化の本質、ブルジョア国有化とプロレタリア社会主義革命の関係などの各側面からいちぶの資料と見方を提起するつもりである。

ブルジョア国家には、ずっと以前から「国有経済」があった。ブルジョア国家は、生まれおちるとすぐ、封建国家の経営していた独占企業を接収し、それまで原始的なマニユフアクチュアの段階にあったこれらの企業を近代的な企業に改造した。ブルジョア国家はまた戦争や財政、経済上の必要から、企業の創設や買収の方法でしだいに国有経済を拡大した。しかし、第一次世界大戦までのところ、ブルジョア国有経済の範囲はきわめて限られており、おもに造兵廠、郵便、電報、鉄道などの企業と部門にすぎなかつた。

第一次世界大戦のあと、資本主義世界がかって見ない重大な経済危機にみまわれたため、ブルジョア国有化は破産に瀕した大資本家を救済する措置としてかなりひろく実施されるようになった。たとえば、イタリア政府は一九二〇年から一九二一年の経済恐慌のさい、二五〇〇億リラ(一九五三年の価格に換算、以下おなじ)を投じて、すでに破産したイタリア割引銀行と、これにつながりのあるいくつかの工業会社を買いとった。ついで、一九二九年から一九三三年にかけての経済恐慌のさいには、また一万四四〇〇億リラちかい資金を投じて、イタリア金融資本の活動中心である三つの最大の市中銀行と、これにつながりのある多くの工業企業を買いとった。これらの銀行と企業は当時すでに破産のハメにおちいっていたのである。また、ドイツ政府は一九二九年から一九三三年にかけての経済恐慌のさい、破産に瀕した大銀行と大企業を挽回するためそれらの株券を大量に買いとった。ヒツトラー政府のシャハト蔵相の供述によれば、一九三一年、ドイツ政府はおよそ七〇パーセントにのぼるドイツの銀行を支配し、またこれによって多くの株式会社を支配していた。第一次世界大戦のあと、ブルジョア国有化はかなりの発展をとげたとはいえ、総じて当時の国有化の規模はまだそれほど大きくはなかった。

第二次世界大戦ののちになると、ブルジョア国有化はさらに大きな発展をとげた。西ヨーロッパのいくつかの主要な資本主義国を見ると、これらの国の国有企業の比重はいずれもわりに大きいことがわかる。

戦後、イギリスはブルジョア国有化実施の面でトツプを切った。一九四五年十二月にはイングランド銀行国有化法が通過し、そのご約三年間に五つの国有化法がつづけさまに通過した。一九五一年になると、イングランド銀行はじめ石炭、ガス、国内輸送などの各部門と一部の冶金企業にぞくぞくと国有化が実施された。国有化の措置をとった結果、以下の一部の部門と企業が国有になった。つまり、約一五○○の鉱坑と一部の石炭加工、煉瓦製造業、鉄道および鉄道車輌と鉄道部門に附属する旅館、内陸河船の通行する運河と港湾業務、大型自動車ステーション、ガス工場とガスパイプ、約五〇〇カ所の発電所と送電部門、国際有線電報と無線電報部門、航空ステーションと全民間航空機がそれである。このほか、いちぶの原子力工場と造兵廠も国有化された。いまのところ、イギリスの国営企業は全工業の約五分の一をしめており、これらの企業で働く労働者は労働者総数の約二〇パーセントをしめるものと見られている。

オーストリアは資本主義諸国のうち国有化の規模がわりに大きい方である。ここでは一九四六年六月と一九四七年三月にあいついで二つの国有化法が通過し、大多数の炭鉱業ともっとも重要な冶金工場、有色金属工場、採鉱企業、炭鉱、発電所、アルミニューム製造企業、窒素肥料製造業、それにいちぶの機械製造企業が国有にきりかえられた。いまのところ、いく種類かの生産のなかで国有企業が占める比重はつぎのとおりである。鉄鋼生産と石炭採掘では九八パーセント、鋼材生産では九〇パーセント、有色金属生産では九四パーセント、石油の採掘と精製では九一パーセント、発電工業では四六パーセント、機械製造と鉄骨構造製造では三一パーセントである。国有企業の生産高は工業総生産高の約二八パーセントを占めている。金融面では、一九四八年にクレジット連合、クレジット機関と農業というオーストリアの三大銀行が国有化された。

フランスでは、一九四五年末と一九四六年にいちぶの経済部門といちぶ部門の重要企業が国有化された。石炭産業、発電と配電、ガスの生産と供給、バンク·ナシオナル·プール·ル·コメルス·エ·ランドストリなど四大銀行、おびただしい保険会社などが国有化された主なものである。フランスではいまのところ、国家独占資本の経営する企業と国家独占資本、民間独占資本の共同経営になる企業があわせて約六五〇、国営工業の全生産能力は工業の全生産能力の二〇パーセントを占めている。

イタリアは戦前から国有化の程度がわりに高かったが戦後はイタリア政府が工業復興会社、機械工業投資基金その他の機構をつうじて破産した企業の株券をつぎつぎに買いとった。一九四七年から一九五五年にいたる期間だけでも、この面で二〇〇〇余億リラも支出している。一九六二年の秋イタリア国会を通過した私営電力企業国有化法案は今年一月から施行されたが、これと同時に、国家電力会社という新らしい国家独占資本組織も創設された。統計によれば、イタリア最大の国家独占資本組織である工業復興会社傘下企業の生産高は、全国銑鉄生産高の七七·四パーセント、鋼鉄生産高の五五·五パーセント、鋼材生産高の五四·五パーセントをしめるほか、いちぶの電力生産をもにぎっている。国家炭化水素会社は全国メタン生産の九三パーセント、石油精製の三〇パーセントを支配している。国家電力会社はほとんどすべての電力生産を支配し、機械工業投資基金とコネ会社はそれぞれ機械製造と採鉱業のいちぶを支配している。概算統計によれば、目下のところイタリア国家独占資本と民間独占資本の共同経営になる国民経済のなかで占める比重は約三〇パーセントにおよんでいる。

西ドイツでは第二次世界大戦前から比較的多く国有化の措置がとられたが、いまも莫大な数にのばる企業が全面的または部分的に国家に属している。国家は多くの特殊金融機構に介入し、多くの工業部門のなかでも重要な地位を占めている。たとえば、国家独占資本の経営する企業と、国家独占資本、民間独占資本の共同経営になる企業の生産高は、石炭産業では二六パーセント、コークス業では一八·五パーセント、鉄鉱の採掘では五一パーセント、アルミニューム製造業では七二パーセント、小型自働車製造業では四二パーセント、造船業では三〇パーヤントを占めている。一九五八年、国有企業と国家資本の介入する企業の資本は四九億二七〇〇万マルクにのばり、西ドイツの全株式資本の一八·三パーセントにおよんだ。

労働者階級の各種各様の叛徒たちは、戦後ブルジョア国有化の発展がわりにはやいのを利用して資本主義的帝国主義の制度を極力辯護している。右翼社会民主主義の指導者と「理論家」は、ブルジョア国有化を「社会主義経済建設のための最も重要な経済的、政治的な措置である」といい、資本主義の国有企業を「社会主義の要素」といい、国有化は「政治、経済面における資本の支配をまったくとりのぞき、」「人が人を搾取する現象を根こそぎなくした」といいくるめている。ユーゴスラビアの現代修正主義者はまた、ブルジョア国有化は、「非社会主義的方法で私有制を根絶し」資本主義的生産様式を否定するものであるといっている。

事態ははたしてそのとおりであろうか?われわれはブルジョア国有化の対象、方式、結果を通して、ブルジョア国有化がどんな性質のものであるかを見てみることにしよう。

第二次世界大戦後のブルジョア国有化の対象からみれば、主としてつぎのようないくつかのばあいがある。

第一は、極端に立ちおくれているため、もはや多くの利潤をあげることができなくなったいちぶの部門である。たとえば、イギリスの工業部門のうちで、まっさきに国有化をおこなつたのは石炭産業である。この部門は第一次世界大戦の直後はやくも没落期にはいったが国有化を実施するまえには基本的にまだひじようにおくれた採掘方法をつづけ、設備も非常にふるくなっており、機械化はほとんどおこなわれていなかった。このような設備と技術条件のもとでは、労働生産率が自然に抵下する。一九四五年の労働者一人あたりの平均採掘高はわずかに二一六トンにすぎなかった。この数字は他の主要資本主義国家の数字より低いばかりでなく、さらに英国の一八七三年から一八八二年までの水準とくらべても、これよりはるかに低い。イギリスの鉄道部門の状況は石炭産業部門と似たりよったりである。一九四八年には使用期限をすぎた機関車が八○○○輌をこえた(総数の四〇パーセントを占める)。一九四七年の統計によれば、総数約一二五万輌の貨車のうち、修理中または修理を必要とするものはほば二〇万をかぞえ、車輌の数は年々減っている。イギリスの鉄鋼業の技術水準も立ちおくれていて、高炉の生産率はアメリカのほとんど四分の一にすぎず、一労働時間の製鋼量もアメリカのほば五分の一にひとしい。これらの部門は投資が大きいわりに利潤が少いため、ますます企業主を缺損と破産のハメにおいこんでいる。また、これら部門が立ちおくれていることは他の工業部門の発展や、他の独占資本家が多額利潤をあげるうえにいきおい影響をおよぼさざるをえない。このため、これらの立ちおくれた企業をもつ資本家たちははやくから、あまり大きな損失をうけない条件のもとでこれらのやっかいものをふりすててしまおうと考えていた。他方、国家としては独占資本ぜんたいの利益のためにもこれらの立ちおくれた企業を引取つて整備と改造をくわえる必要があった。国有化はもとの企業主を破産の危機から救いだしたばかりでなく、かれらに以前よりもたしかな収入を保証している。これは独占資本ぜんたいの発展と多額利潤獲得にとっても有利なのである。

第二に、戦事のためにひどく破壤され、資本家にはもはや回復させる力のないいちぶの企業である。たとえば、オーストリアは終戦のさい、かってナチスの独占資本に強奪され、戦争で破壊された多くの企業をとりもどした。だが、戦争によっていためつけられた資本家たちはこれらの企業を所有する力がなかった。とくに、これらの企業に投資して、これを回復させ、そこから利潤をあげるだけの力がなかった。このような状態のもとでは、ブルジョア国家がこれらの企業を引取る必要がある、オーストリアのブルジョアジーがこれらの企業の国有化に同意した腹の底には、きわめて利己的な動機がひそんでいた。つまり、ブルジョア国家にこれらの企業の回復と設備の更新をやらせて、安あがりの商品と役務を手にいれようとしたのである。

第三は、国有化ののち独占資本家に廉価な原料と動力を提供しうる部門と企業である。イタリアがことし実施した電力国有化はこの明らかな一例である。この国の電力供給はますます工業の需要に応じられなくなっており、とくに化学などの新興工業の今後いっそうの発展の必要に応じられなくなっていた。だが電力独占資本はより高い利潤を保証されるのでなければ、生産設備拡張のため大量の投資をしないし、また電力のたりない立ちおくれた地域に大量の電力を送ろうとしない。かくては、電力を使用する独占資本が廉価な動力を十分にえようとするこの要求とのあいだにどうしても矛盾が生じて来る。そこで、生産コストをさげて利潤をあげようとする独占ブルジョアジーの要求をみたすため、イタリアの支配グループは電力企業の国有化をおこなったのであった。以上のような目的から国有化を実施したのはイタリアの電力企業ばかりではない。いちぶの国ぐににおける銀行の国有化は主として独占ブルジョアジーがとくに有利な条件で借款をえるために実施されたものである。イギリスの電力国有化もこのような目的から出たものである。

第四は、一部の軍事企業と、これに直接関係のある企業である。これらの企業の国有化が実施されたのは主として軍備拡張の必要によるのである。

ブルジョア国有化はブルジョア国家が資本家の企業を高い値で買いあげることによって実現される。たとえばイタリアのばあい、一九二九年から一九三三年にかけての経済恐慌のさい、イタリア政府は株式相場が暴落しているにもかかわらず恐慌前の株式取引所のいわゆる「正常」価格という高値で商業銀行、イタリアクレジツト銀行、ローマ銀行の金株券を買い上げた。イタリア政府はまた、一九六二年の秋に国会を通過した電力企業国有化法案でも、資本プラス利潤の原則によつて一万五〇〇〇リラにのぼる補償金を電力資本家に支拂い、買あげ金の未払い部分にたいしては五·五パーセントの利子を支払うことをさだめている。戦後のオーストリア政府の法令では、全国有化企業にたいする補償金は元来の株式資本の三·六倍になっており、発電所にたいする補償金は元来の株式資本の六·五倍になっている。イギリスの鉄道会社は時価五億ポンドの株のかわりに政府から約十億ポンドの公債をうけとった。炭鉱業の旧経営主が手にいれた四億ポンドの補償金も国有になった炭鉱の価値のいく倍もこえている。卜ーマス·チリング会社ではさらに時価四四二万ポンドの株券のかわりにイギリス政府から二、四八○万ポンドの補償金をうけとった。つまり、一ポンドの株券とひきかえに六ポンドの債券を手にいれたことになる。資本家が公債から得た高い利子はもとの株式配当金よりはるかに多い。たとえば、イギリス鉄道会社の株主は国有化前の数年間というもの自分の株券からほとんど得るところがなく、ただ例外的な年度に一·五パーセントを超えない配当金をうけるだけであったのが、国有化ののちになると、約五パーセントにおよぶ収入をうるようになった。国有化の実施はもとの経営主にとって、その実、ただ名儀をかきかえただけである。国有化ののちも企業利潤の大部分はかれらに渡されたのであり、企業利潤をぜんぶ手渡してもなお足りない企業さえすくなくなかった。たとえばイギリスの鉄道部門のばあい一九四七年から一九五八年にいたる年平均利潤は二、八○○余万ポンドであるが、年々旧株主に支払う利子は四、五〇〇万ポンドの多額にたっした。これらはすべてレーニンのつぎの科学的断定を充分に証明するものである。「資本主義社会における国家的独占は、あれこれの産業部門の破産に瀕している百万長者のために、収入をたかめたり確実にしたりする手段にすぎないからである」[注释1]。かって英国アトリー政府のシンウエル動力相は、英国の「採炭業はすでに病い膏盲に入っており、多くの人はよろこんで炭鉱から手を引こうとしている」とみとめざるをえなかった。かれはまた「政府はかならずいちぶの炭鉱所有者の財産を没収せねばならぬ、だが、これにこおどりしない資本家があるだらうか」とものべている。英国労働党の前党員ゲイッケルも、「社会主義と国有化」というパンフレツトのなかで、イギリス政府が国有化実施のためおこなっている補償は独占資本家に非常に多くの利益をもたらしている、「ただ利潤とか配当金ではなく、利息の形態をとっているだけのことである」と白状している。

ブルジョア国有化は企業を手ばなす個々の資本家にとって有利であるばかりでなく、独占資本家ぜんたいにとっても有利である。ブルジョア国家が企業を経営する最も根本的なねらいは独占資本家に多額の利潤を保証することにある。ブルジョア国家は独占資本家に有利な価格政策を実施して、すべての独占資本家が国営企業から廉価な原料、材料、動力をうけとり、それぞれの製品のコストを引き下げ、利潤を高めることができるようにする。たとえば、イギリスのばあい一九三八年から一九五七年にかけて製造工業の製品の卸売価格は二〇四パーセントもあがったが、電力の平均価格はわずかに三九パーセント、鉄道運賃もただ一一五パーセントしかあがらなかった。一九五二年、イギリスの炭鉱で採掘された石炭の一半は生産コストをわる価格で売り出された。フランスの石炭部門では国有化が実施されてから炭価はずっと生産コストを割つている。もちろん、こうした特別価格の利益は誰でもが受けられるものではなく、ただ独占資本の企業にのみあたえられる。フランスの電気料金の等級標準によれば、一九五一年電化企業と電力冶金業の支払う電気料金は一キロワットあたり一·八フランにすぎなかったが、一般市民の支払う電気料金は一キロワツトあたり二六フランにたっした。また西ドイツ北ライン·ウエストフアリヤ州国営発電所の電力は七〇パーセントが工業企業、三〇パーセントが一般市民にまわされているが、この三〇パーセントからあげる利潤の方が七〇パーセントのそれよりもいっそう多い。そればかりではなく、独占資本はまた国有企業から有利な発注をうけている。国有企業の発注は大多数が秘密のうちにおこなわれている。秘密発注は大独占資本家にとってとくに有利であり、この種の方法でかれらは公開入札のばあいよりはるかに多い利潤が得られる。イギリスのウイリアム·デーニーブラザー会社が請け負つたイギリス海峡横断船建造の発注は、その好例である。この横断船の建造費はたかだか一〇八万六〇〇〇ポンドていどであるが、イギリス運輸委員会はこれに一五〇万九〇〇〇ポンドも支払った。ブルジョア国家の国有企業は安い価格で独占資本家に商品を提供し、高い価格で独占資本家から商品を買い入れ、独占資本家に莫大な利益をあたえる。フランスの資料によればフランスの鉄鋼、化学などの工業部門の独占資本家は一九四七年から一九六〇年までの期間にこうした方式で三兆フランにものぼる利益をあげている。

ブルジョア国家の国有企業が、事実上、大独占資本家に直接支配されていることは国有企業指導機構のメンバーの顔ぶれを見てもよくわかる。国有化のあと、もとの経営主はいちはやく国有企業の指導者となりすましているし、他の独占資本家もそれぞれの利益のためにひたすら国有企業の指導機構に自已の勢力を拡張しようとつとめている。その結果、国有企業営理局や会社の指導的地位につくものは独占資本家か、でなければかれらの代理人である。一九四九年、アトリーが議会での質疑応答のさい認めたところによると、当時、イギリスの各国有化中央管理局の委員一三一名のうち、半数ちかくはもとの民間企業の重役または社長で、その他の委員のうち三〇余名は貴族、地主、将軍であった。また、同年のイギリスの他の資料がもらすところによると、国家運輸会社の理事一三名のうち七名は民間会社の重役であったし、炭鉱業の管理にあたったものはすべて独占資本家の代表者であった。フランスでは、国有化を実施したのち、もとの経営者はあいかわらず企業の理事会にとどまり、ひきつづきこれらの企業をにぎった。とくに、銀行管理局で仕事をしているのはほとんどもとのメンバーである。オーストリアでも、国有化された銀行は事実上、大独占資本家の支配する金融機関である。かれらがこれらの銀行の重要な指導者であり、政策の決定者だからである。この国の国有企業の実権も大独占資本家の手にぎられている。西ドイツでも、国有企業の指導メンバーは独占資本家とその代理人が圧倒的な優勢をしめている。イタリアになると、こうした傾向はなおさらつよい。この国の国有企業、は、鉄道、軍需工業、郵便、長距離電話など、ごくいちぶの企業が直接国家に管理されているほか、大部分は株式会社の形態をとっている。これらの企業にたいしては、国会も監督権がなく、政府も管理をおこなっていない。ことし一月九日のローマ「コリエール·デル·セラ」紙のつたえるところによれば、すでにイタリアの各党のあいだで話しあいがまとまった結果、新らしく設立された国家電力会社社長の椅子には、電力独占資本家で金融寡頭のひとりであるヂ·カーニヨが坐ることになるという。国有企業の管理機構が大独占資本家に指導権をにぎられてしまえば、その企業はかれらの思いどおりに経営されることとなる。大衆をあざむくため、独占資本グループもしばしば国有企業の管理機構にいく人か「労働者代表」というものを置いているが、これはまったくの飾りものにすぎない。それというのも、第一に、決定権はつねに独占資本家とその代理人の手にしっかり握られている、第二に、この「労働者代表」というものはすべて独占資本グループが養成し、ばってきした、かれらの忠実な道具である、第三に、もし「労働者代表」のだれかがすこしでもいうことをきかなければ独占資本家はいつでもそのクビをすげかえることができるからである。だから、飾りものをそえるといっても国有企業にたいする独占グループの支配にはすこしもさしさわりがないのである。

ブルジョア国家が独占資本に奉仕するには、企業を買いあげるという形だけでなく、国有企業を払いさげるという形もとる。民間独占資本に払いさげられる企業は、国家の多額の投資によってもとの古くさいたちおくれから立直ったものが多い。多くの企業にとって、国有化を実施することは、その実、ブルジョア国家が国庫の資金(つまり人民が納めた税金)をつかって、資本家のかわりに固定資本を更新し、かれらのために投資の危険をひきうけてやることである。戦後、多くのブルジョア国家は国有化を実施するとともに国有企業を民間独占資本に払いさげる措置をとった。たとえば、イギリスは一九五二年から一九五三年にかけて黒色冶金工業といちぶ運輸業の国有化を廃止した。オーストリアでは一九五七年にクレジツトアンシュタルト·バンクフェライン、ランデルバンクという二つの国有銀行の四〇パーセントの株券が払いさげられたが、そのうちのほとんどが独占資本家に買いとられた。西ドイツでは一九五四年から一九五五年にかけて国有企業が復活し、固定資本が大いに更新されたため、国有企業独占資本家の争奪の対象となり多くの国有企業と株券が「非国有化」された。イタリアでは不完全な統計によれば、工業復興会社が設立されてから一九五八年まで民間独占資本に払いさげられた国有株券は前後四九一〇億リラにたっした。

国有化をおこなわずに、政府投資のかたちで国有企業を創設したアメリカでさえ、国有企業を独占資本家に払いさげる措置がとられている。アメリカ政府が戦時中に創設した企業の大部分は、戦後まもなく大独占資本の財産になってしまった。国有化とは、国家が民間企業を高い値で買いあげる一方、国有企業を安い値で民間独占資本家に売りもどすことである。たとえば、アメリカのユタ州ジエネバ市のある大工場は国費二億ドルをついやしてつくられたものだが、USスチール会社はそれを四八五〇万ドルで買いうけた。またリパブリック·スチール会社はシカゴ附近の冶金工場を三五〇〇万ドルで買いうけたが、国家がこの工場にかけたカネは九一〇〇万ドルにもたっしていた。イギリスでは、ことし一月中旬、政府が独占資本家に払いさげた三つの国営鉄鋼会社の資産総額は八五〇万ポンドにのぼったが、独占資本家がこれらの工場を買いうけるのに支払った額はわずか五七〇万ポンドだった。おなじころ、イギリス政府がもう一つの独占会社に払いさげた二つの国有製鉄所は実際の価値が二六〇万ポンドであつたにもかかわらず、売り値はわずか一五〇万ポンドにすぎなかった。これでもわかるように、国有化を実施するにしても、また国有企業を民間独占資本に売りもどすにしても、ともに独占資本家の利益のためである。

ブルジョア国有化はいかなる方式をとるにしても、独占資本が国家を利用して勤労者を搾取する一種の手段であり、独占資本に莫大な利益をもたらすものである。ところが、広はんな勤労者にとっては、そのもたらすものはまったく逆の結果である。右翼社会民主主義者が資本主義的国有企業は「搾取をなくした」などと吹聴しているそのデタラメがいかにいつわりであり恥しらずであるか、第二次世界大戦後の事実はじつにはっきりとこれを立証している。国有化ののち、労働者の労働強度がぐっと高まった。たとえば、イギリスの石炭産業は技術設備がかわっていない条件のもとで、おもに労働者の労働強化にたよっており、一九五二年の労働者ひとりあたり年平均採炭量は一九四七年にくらべて一六パーセントもひきあげられた。国有企業の労働条件は極度に悪化し、労働傷害はふえる一方である。イギリスでは一九五五年炭鉱労働者の三分の一が負傷し、四二五名が死亡した。採炭工業のうち、年々登録された炭肺患者がのべ人員四〇〇〇人、この病気で死亡する者は年々七〇〇から八○○名まであった。国有企業の労働者の実質賃銀はあいかわらずひじように低い。一九四八年、イギリス労働党が政権をにぎっていた頃、労働党員フランシス·ウイリアムはイギリスの労働者にむかってあっさり言ってのけたものである。「国有化は労働者階級にとつてかねて期待してきた一息つく時代が来たことを意味するものでは決してない。それはなんらの補償も要求せずもっと懸命に働けと労働者に呼びかけることを意味している」と。国有企業の労働者は資本家との闘争のさい、以前よりもっと不利な立場におかれる。資本家は「社会の利益」という口実でほしいままに労働者階級に攻撃をくわえ、もしも労働者が反抗すればただちに国家の行政官吏という肩書きで弾圧をくわえるのである。

ブルジョア国有化は国有企業の労働者ばかりでなく、広はんな勤労者にも不利な結果をもたらした。国有化(国有企業を民間独占資本に売りもどすこともふくめて)を実施するにあたり、ブルジョア国家はあらゆる方式でブルジョアの財布をふくらませるが、このため広はんな勤労人民の貧困化はいっそうはげしくなる。それというのも、ブルジョア国家は旧経営主に補償金(統計によれば、イギリスのブルジョアジーが全国有企業部門からうけとった補償金は総額約二五億ポンドに達した)を支払うため大量の国債を発行するので、必然的にインフレーシヨンを激化させ、このため貨幣価値はいっそう下落し、物価はいちだんと騰貴するのである。ブルジョア国家はまた国債利子(イギリスの石炭産業の旧所有主が一九四七年にうけとった利子は一五一二万ポンド、発電所の株主たちが一九四九年にうけとった利子は約一三〇〇万ポンドにたっした)を支払い、国有企業の欠損(独占資本家に廉価な商品と役務を提供することによって行われた)をおぎない、国有化した設備を更新するために政府の予算支出をふやすので、必然的に労働者の税負担をいっそう重くするのである。たとえばイギリスのばあい、一九三八年から一九五六年にかけて、労働者·職員の直接税と強制積立金は十倍ちかくにふえた。目下、各種税負担額は労働者の取入のほとんど二五パーセントを占めている。おなじ期間に、イギリスの小売り価格は二倍余りにはねあがった。税負担の増大と物価の暴騰によって労働者の実質賃金はいくらもあがらなかった。一九五七年、イタリアの勤労者の実質賃金は戦前のレベルの六〇パーセントそこそこであり、一九五八年のあともあまりあがつていない。いまフランスの勤労者が一九三八年当時の賃銀を手にいれるには一九三八年より二五パーセントも多く働かなければならない。

ブルジョア国有化が広はんな勤労者に不利な結果をもたらすことについては、レーニンは早くも四十余年前つぎのようにはっきりと論証していた。レーニンはこう指摘している。「生産手段の私有が維持されている場合には、生産の独占化と国営化の強化をめざすこれらすべての方案は不可避的に勤労大衆にたいする搾取と、抑圧の強化、搾取者に対する反抗の困難の増大、反動と軍事的専制を伴い、これとともに、不可避的に住民中の他のすべての層を犠牲として大資本家の利潤を信じられないほどに増大させ、幾十億の公債利息の支払いという資本家への貢物によって幾十年ものあいだ勤労大衆を債務奴隷とする」[注释2]。現在の事実は、レーニンのこの断定の正しさをいっそう明確に立証している。

国有化の性質は国家の性質によって左右される。ブルジョア国有化が独占資本家だけに有利で広はんな勤労者に不利であるのは、ブルジョア国家が独占資本に飼いならされた道具だからである。ユーゴスラビアの現代修正主義者がブルジョア国有化を美化しているのは、まず第一に、かれらがブルジョア国家の性質を歪曲しているからである。かれらはブルジョア国家を一種の超階級的なものだといい、「もはや資本主義社会におけるある階級の機構ではなく、この階級の特殊な利益を反映したり、よう護したりするものではない」といい、あるいは右翼社会民主主義者のいうように、すでに「全社会に奉任する」機構になったといっている。

ユーゴスラビア現代修正主義者や右翼社会民主主義者はブルジョア国家を美化しているが、しかし、ブルジョア国家がゆらい「ブルジョアジーぜんたいの共同の事務を処理する委員会」であり[注释3]、ブルジョアジーの勤労者を抑圧し、搾取する機構であることは、現に人びとが目にしているところである。帝国主議の段階になると、独占資本は完全に国家を自已の支配下におく。かれらは政府機構のなかに自已の代理人をおくりこむばかりでなく、自分じしんが出馬して国家の要職につくようになる。これは第二次世界大戦いらい、主要な資本主義諸国に見られる普遍的傾向である。アメリカは「民主主義社会」の手本などといわれているが、ほかならぬこの国で支配機構はがっちりと独占資本に握られている。ケネデイ政府の主要なメンバーのうち、大ブルジョアが半分以上をも占め、その他のものもみなかれらの一族郎党である。イタリアでは、フアンフアーニのいわゆる「中道左派」政府の閣僚(総理をも含む)二四名のうち一九名が大地主と大ブルジョアの利益を代表するキリスト教民主党員で、のこりの数人もみな事実上ブルジョアジーの利益を代表する党派から出ている。いうまでもなく、独占資本家がみずから出馬せず、基本的にはあいかわらずかれらの代理人に政権をにぎらせることもある。非常事態に直面すれば、さらに右翼社会民主主義者を出陣させて、矢面に立たせることさえある。だが、だからといってブルジョア独裁としての国家の性質が変ったわけでなく、かわりうるものでもない。一方では右翼社会民主主義者も同様に独占ブルジョアジーの下僕であるし、その他方では独占ブルジョジーが国家の経済動脈を握って、経済生活の至高の支配者である。そのため、かれらはブルジョア国家の根本政策を決定する力があり、権力がある。だれが政権の座にすわるにしてもかれらの意志の具体的な遂行者にほかならないからである。エンゲルスもかつて指摘したように、「近代国家は、どんな形態をとろうとも、本質的には資本主義的な一機構であり、資本家の国家であり、理念上の総資本家である。近代国家が生産諸力をその所有におさめればおさめるほど、それはますます現実的な総資本家となり、ますますひどく国民を搾取するようになる。労働者はあいかわらず労働者であり、プロレタリアである。資本関係は揚棄されない。むしろそれは極端にまでおしすすめられる」[注释4]のである。ブルジョア国家の機構も粉砕せず、国家権力の性質もあらためずに、ブルジョア国有化が労働者階級と広範な勤労者に有利であり、独占ブルジョアジーに不利であるなどとどうして想定できるだろうか。「社会平等」の目標に到達しうるなどとどうして想定できるだらうか。

ブルジョア国有化の歴史的役割を正しく認識し、ブルジョア国有化と社会主義国有化のあいことなる性質を区別することは、ブルジョア国有化を分析する非常に重要な分野である。

ブルジョア国有経済のある程度の発展は現代資本主義社会の一種の客観的な趨勢である。その発展によって、生産の社会化は資本主義制度のもとで到達しうる最高の水準にたっした。これはとりもなおさず、社会主義のために物質的基礎を準備するものであって、プロレタリアートが政権を夺い取つたのち、生産手段の社会主義公有化を実施するのに有利である。ブルジョア国有化はまた、広はんな勤労人民の貧困を深め、階級矛盾をはげしくし、労働者階級の革命化をうながす。こうしたことは疑もなくプロレタリアートの社会主義革命にとって有利な条件である。

マルクス·レーニン主義者の目からみれば、ブルジョア国有化は社会主義のために物資的前提を準備し、客観的に社会主義革命を促進する役割をもっているにしても、これはやはり独占資本グループが自已の反動支配を維持するためにとった措置であり、独占ブルジョアジーが国家の名のもとに勤労大衆にたいする搾取と抑圧をくわえる手段である。ブルジョア国有化は独占資本を弱める(なほさら消滅とはいえない)のではなくて、その国民経済にたいする支配を強めるのにある。このため、マルクス·レーニン主義者はいつも革命の観点からブルジョア国有化問題をみている。プロレタリア革命とプロレタリア独裁がなくてはブルジョア国有化などによって資本主義から社会主義への「移行」を実現させることは絶対に不可能である。また、かかる国有化はただ資本主義のものであるにすぎず、社会主義国有化ではけっしてありえないというのがマルクス·レーニン主義者の見方である。レーニンは『党綱領の改正によせて』という一文のなかではっきりとこの問題を提起し、つぎのようにのべている。[革命の状況のもとでは、革命のさいには、国家独占資本主義は直接に社会主義に移行する。革命時には、社会主義にむかってすすまずには前進することはできない。……わが党の四月協議会が、「ソビエト共和国」(プロレタリアートの独裁の政治形態)のスローガンと、銀行やシンジケートの国有化のスローガン(社会主義への過渡方策のうちの基本的なもの)をかかげたのは、このことを考慮に入れたものである」[注释5]

ユーゴスラビアのチトー一味を代表とする現代修正主義者は、マルクス·レーニン主義者の立場と正反対である。かれらはブルジョア国有化と社会主義国有化の根本的に異った性質を区別しないで、それらを混同している。また、ブルジョア国有化のもたらす有利な条件をつかんで社会主義革命をおしすすめるのではなく、ブルジョアジーの国家権力に抵触しないという条件のもとに、ブルジョア国有化とその他のいわゆる[改革」をつうじての社会主義への「平和的生長」をたくらんでいる。かれらは極力、ブルジョア国有化は一般的な改良の措置ではなく、「社会主義的要素」をもつ措置であり、「社会主義へ入る第一歩」であると宣伝している。かれらはまた、独占資本の支配を廃棄するため全生産部門の国有化をかちとるともいっている。その実、資本主義国家の国有企業は全く社会主義でないばかりでなく、全産業部門の国有化も幻想にすぎない。数多くの事実が明示しているように、独占資本家はかれらにとって非常に有利な条件のもとに、すでに高い利潤をむさぼることのできなくなった一部の部門を国家に高価で売りつけるだけであって順調に進んでいる圧倒的多数の企業は「国有化」することはぜったい許さない。とくにそれらの肝心かなめの部門をかれらはあくまで握ろうとしているブルジョア国有化はただ独占資本グループの国民経済支配に影響しないばかりでなく、かえって有利であるという条件のもとでのみ実施される。ユーゴスラビアのチトー一味を代表とする現代修正主義者はブルジョア国有化によって社会主義へ「移行する」いろいろな方案を想定したが、しかし、もっとも根本的な条件に缺けていた。ブルジョア国家機構を粉砕して、プロレタリア独裁を実施するというのがそれである。かれらにしてみれば、権力を奪いとるということはすでに重要な問題ではなくなった。かれらは、発達した資本主義国家のばあい権力をかちとることはもはや「社会主義の発展の第一段階ではなく」なったと公言している。

ブルジョア国有化の実質をかざりたててブルジョアジーのために犬馬の労をとることは、決してユーゴスラビアのチトー一味を代表とする現代修正主義の創造ではない。早くも四十余年まえ、旧修正主義者はそうしたものであった。第一次世界大戦の期間、とくに偉大な十月社会主義革命以後、資本主義の全般的危機がはじまった。当時、ヨーロツパの多くの国ぐにには革命の危機が発生した。大衆を社会主義革命の道からそらすために、これら国ぐにの右翼社会民主主義者は、極力ブルジョア国有化を宣伝した。ドイツやオーストリアの社会民主党は「社会化委員会」(ドイツではカール·カウツキー、オーストリアではオツトー·バウエルを頭とする)なるものまでつくって、ブルジョアジーに手をかし、人民大衆をだました。だが、ブルジョアジーの支配的地位がいちじ安定すると、この「委員会」はなんらの成果もあげずにつぶれてしまった。一九二九年から一九三三年にかけてかって見ない重大な経済恐慌が爆発し、全資本主義世界を席捲すると、右翼社会民主主義者がまたもや資本主義救済の処方箋としてブルジョア国有化の問題をもち出し、前よりやっきになってわめきたてた。だが、それが最高潮にたっしたのは何といっても第二次世界大戦以後のことである。これは戦後の資本主義の全般的危機が日ましに深まり、資本主義国有のいっさいの矛盾が極度に尖鋭化したため、資本主義制度がすでに非常に不安定になったからである。このような状態で、独占資本グループは一方ではより多くの改良的措置(例えば、国有化、社会福利)を実施して階級闘争の情勢を緩和するとともに、他方では欺瞞的な宣伝に拍車をかけ、こんにちの資本主義はすでに過去とは違い、すでにいわゆる「人民資本主義」、「福祉国家」などになったと言っている。かれらはまたやっきになって労働者階級の中の代理人をそそのかし、いろいろな幻想を散布するのに拍車をかけ、労働者階級と広はんな勤労者の革命的な意志を弛緩させ、壊滅に瀕した資本主義制度の運命を挽回しようと企てている。ユーゴスラビアのチトー一味を代表とする現代修正主義者がブルジョア国有化問題についてわめき散らしているのは、独占ブルジョアジーのこのやうな要求にこたえたものにほかならない。かつて旧修正主義者が人民をだます手管を使ってもプロレタリア革命を食いとめ、取り消すというその犯罪的な目的をとげることはできず、逆に叛徒としての正体をすっかりさらけ出してしまったのである。こんにち被抑圧人民と被抑圧民族がいちだんと目ざめているとき、ユーゴスラビアのチトー一味を代表とする現代修正主義者の恥ずベき企てはかならず失敗におわるにちがいない。


[注释1]
『資本主義の最高の段階としての帝国主義』、『レーニン全集』二二巻、ロシア語版二○六頁、日本語版二五〇頁、大月書店。

[注释2]
『ロシア社会民主労働党(ボ)第七回(四月)全国協議会』、『レーニン全集』二四巻、ロシア語版二七七頁、日本語版三一八頁、大月書店。

[注释3]
マルクス·エンゲルス『共産党宣言』より。

[注释4]
『反デユーリング論』、『マルクス·エンゲルス選集』一四巻、四七一頁、大月書店。

[注释5]
『党綱領の改正によせて』、『レーニン全集』二六巻、ロシア語版一四三頁、日本語版一六六頁、大月書店。

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