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Directory Of Year 1963, Issue 1
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さかんになった詩の朗読会

Year:1963 Issue:1

Column: 文芸

Author:

Release Date:1963-07-05

Page: 28-31

Full Text:  

北京ではもう歌劇や芝居、映画のキップを買う人たちの長い行列は珍らしくなくなったが、このごろではもうひとつ別の長い行列がみられるようになった。一般市民にはじめて売り出されるようになった詩の朗読会のキップを買う人たちの長い行列である。

先日北京児童劇場でおこなわれた詩の朗読会のキップは一時間のうちにたちまち売り切れた。キップの買えない人もおおぜいいたが、なかにはキップを返しにくる人にのぞみをかけてなかなかその場を立ち去らない人もあった。またこんなこともある。ある劇場で詩の朗読会がおこなわれた。キツプを手に入れることのできなかった人びとは劇場にはいれなかったが、劇場の近くに来て停った放送局の録音カーのまわりに集まった。そして録音カーに乗っていた技術者の好意で、二時間ほど劇場のなかでつぎつぎに朗読される詩の録音をきかせてもらった。人民公社をうたった詩からキューバをうたった詩にいたるまでいろいろなテーマの詩の朗読に人びとは熱心に耳をかたむけた。劇場では、時間を気にした司会者が何回も聴衆の熱烈なアンコールの拍手を制止したくらい場内はわきたった。

詩の朗読会は北京だけでなく、どこの大都市でもさかんになり、文化館、青少年の文化宮、学校、工場、図書館、放送局などでよく催されている。北京ではさいきんできた朗読グループのなかに、朱琳、王曉棠、王心剛など有名な新劇や映画の男女優からなる朗読グループがあって、その朗読会はいつもひじょうな人気をよんでいる。このほかに四十人の少年先鋒隊員からなる朗読グループもできている。

朗読会にあつまる聴衆は労働者、国家幹部、学生、生徒、兵士など範囲がひろく、ときには小学生まできている。

詩の朗読といったような形式のものがさいきんにわかに活潑になった原因はどこにあるか?

中国では解放後はじめて文学芸術に接したものが多いが、近ごろはすぐれた文学芸術作品にたいする人びとの欲求もますます高まり、たとえば「紅岩」のようなすぐれた小説は何百万部も売れている。詩―といつてもふつうの詩ではなく、革命の詩であり、また、いまの時代と密切な関係をもつ闘争の詩であるが、そうした詩の朗読が多くの人をひきつける理由もこういうところにあるといえよう。

抗日戦争の始ったころからすでに愛国詩人たちは詩の朗読を通じて敵にたいする人民の闘争を鼓舞してきた。当時の敵は日本侵略者と国民党反動派だった。解放前の暗黒な時期にも愛国詩人たちは国民党占領地区であくまでこの伝統をまもった。たとえば昆明ではこんなことがあった。ある曇った日のことである。色褪せた長衣を着た聞一多教授(注)は西南聯合大学の大講堂の演壇に立った。大講堂は人でいっぱいだった。教授はポケットから自作の詩の原稿を取り出し、近視眼鏡のすぐそばまでその紙を近ずけながら、感激にふるえる声で詩の朗読をはじめた……。今日の詩人たちの作品も人びとのおなじような要求をみたして、行動への、そしてそれぞれの仕事への新たな努力にたいする戦闘的な、革命的な呼びかけとしての役割をはたしている。

いまここには平凡で偉大な兵士の雷鋒をうたった詩、革命的なラテンアメリカをうたった詩、アルジエリアその他をうたった感動的な詩、それから労働者、農民、兵士の中にはいって創作意欲を充実させている詩人たちの手になる無数の詩があるが、そうした詩が朗読されるとき、聴く人の眼は、全精神を集中してかがやくのが常である。詩の朗読のもつもうひとつの力としては、そのバラエテイにとむ技があげられよう。いぜんは聴く人に不愉快な感じをあたえる大げさな調子やジエスチュアがあって、それが共通の欠点だった。だが今日では朗読者たちはもっとやわらかい、そして自然な態度や手法を身につけているし、詩の意味をよくつかんでこまかいニュアンスまでもつたえられるようになっている。

近ごろはまた朗読の形式にも新しいこころみがみられる。例えば、一つの詩を一人もしくは二人以上で朗読するとか、グループで朗読するとか朗読に音楽やあるいは適当なゼスチュアをまじえるなどである。詩のほかに、小説や寓話、芝居の本や映画のシナリオなどの朗読もよい効果をおさめている。キューバのカストロ首相の演説「歴史はわたしの無罪を宣告するだろう」は数ある朗読プログラムのなかでも呼び物のひとつになっている。以上にみられるように、詩の朗読はいまや新しいより高い水準に達している。だが詩人とその同業者たちは自分たちの芸術をさらにひろく広場へ、街頭へ、人民公社の畑へまでもってゆくためにいっそうの努力をはらっている。

(注)西南聯合大学教授の聞一多はすぐれた詩人であり、著名な民主主義の闘士だったが、一九四六年国民党反動派によって暗殺された。

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