一九六二年九月、山西省北部の右玉県大川村大川生産隊の共産党支部書記が、谷あいからめずらしい西漢(紀元前二〇六年―紀元二四年)の青銅器を九つ発見した。これらの青銅器は元来谷のふちの地表から二メートルの土中に埋まっていたのではあるが、この谷が豪雨で崩れたため谷あいに落ちこんだものである。これら青銅器のうち、四つは、普通食器として使用されていた鼎でである。他の一つは、文様のない鑑で、その鑑のふちには篆体...
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一九六二年九月、山西省北部の右玉県大川村大川生産隊の共産党支部書記が、谷あいからめずらしい西漢(紀元前二〇六年―紀元二四年)の青銅器を九つ発見した。これらの青銅器は元来谷のふちの地表から二メートルの土中に埋まっていたのではあるが、この谷が豪雨で崩れたため谷あいに落ちこんだものである。これら青銅器のうち、四つは、普通食器として使用されていた鼎でである。他の一つは、文様のない鑑で、その鑑のふちには篆体...