一九三六年六月のある日の午後、陜西省北部の黄土高原には、赤い太陽が照りつけ、熱気を帯びた西風が盛んに砂塵をまき上げていた。当時の中国共産党中央委員会の所在地である保安への細い山道を、少人数の隊列が難儀そうにのぼっていた。先頭には二頭のロバをひく農民。ロバの背には荷物、カメラ、クスリ箱が積まれていた。そのあとを、ふたりの若い外国人がついて行く。そのやせた顔、はだけたえりもとは、ほこりにまみれていた。...
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一九三六年六月のある日の午後、陜西省北部の黄土高原には、赤い太陽が照りつけ、熱気を帯びた西風が盛んに砂塵をまき上げていた。当時の中国共産党中央委員会の所在地である保安への細い山道を、少人数の隊列が難儀そうにのぼっていた。先頭には二頭のロバをひく農民。ロバの背には荷物、カメラ、クスリ箱が積まれていた。そのあとを、ふたりの若い外国人がついて行く。そのやせた顔、はだけたえりもとは、ほこりにまみれていた。...