昨年の春、全国総工会副主席馬純古氏は病気で入院した。病状が悪化し、三人の子供が枕頭に駆けつけたが、馬純古氏は子供たちに、親を看病するために仕事を休んではならぬと諭し、それぞれの職場に帰らせた。その晩、かれは息をひきとったが、傍らには一人の肉親もいなかった。また、何らの遺言も残さなかった。しかし、氏は次の世代に貴い遺産を残したのだった。馬純古氏は一九二七年に入党した老幹部である。給料は比較的多く、し...
Please login first!
昨年の春、全国総工会副主席馬純古氏は病気で入院した。病状が悪化し、三人の子供が枕頭に駆けつけたが、馬純古氏は子供たちに、親を看病するために仕事を休んではならぬと諭し、それぞれの職場に帰らせた。その晩、かれは息をひきとったが、傍らには一人の肉親もいなかった。また、何らの遺言も残さなかった。しかし、氏は次の世代に貴い遺産を残したのだった。馬純古氏は一九二七年に入党した老幹部である。給料は比較的多く、し...