日本 東京 谷津 民夫貴誌第三九号所載の稗田教授に関する記事に、私も教え子の一人として大変感銘を受けました。日本に帰ってからの教授は、久留米医大教授に迎えられ、日本学術会議会員に選出され、また落選はしたが国会議員に立候補されたりしました。それもこれもすべて「残る余生の最大の仕事は日中医薬学交流を措いてない」という遠大な理想を抱かれての布石であったと思われます。またその著書『医学思想の貧困』の中で、...
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日本 東京 谷津 民夫貴誌第三九号所載の稗田教授に関する記事に、私も教え子の一人として大変感銘を受けました。日本に帰ってからの教授は、久留米医大教授に迎えられ、日本学術会議会員に選出され、また落選はしたが国会議員に立候補されたりしました。それもこれもすべて「残る余生の最大の仕事は日中医薬学交流を措いてない」という遠大な理想を抱かれての布石であったと思われます。またその著書『医学思想の貧困』の中で、...