わたしはこれまで、「わたしがお前たちを養っているんだぞ」と、よく妻に言ったものだ。妻もそれを認め、一言も口答えをしなかった。その理由はこうだ。わたしは一九七二年に兄弟が分家してから一日も欠かさず日記をつけている。その日記を見ると、特別のことがないかぎり、一家の年収は六百元前後で、支出は約七百元だったから、家計は毎年百元余りの赤字だった。わたしの給料は十五年間、わずか四十一元五角という低さであったが...
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わたしはこれまで、「わたしがお前たちを養っているんだぞ」と、よく妻に言ったものだ。妻もそれを認め、一言も口答えをしなかった。その理由はこうだ。わたしは一九七二年に兄弟が分家してから一日も欠かさず日記をつけている。その日記を見ると、特別のことがないかぎり、一家の年収は六百元前後で、支出は約七百元だったから、家計は毎年百元余りの赤字だった。わたしの給料は十五年間、わずか四十一元五角という低さであったが...