記念日と言えば、ふつう、楽しい思い出につながるものだが、『北京周報』(日文版)二十周年のばあい、私の記憶は苦汁にみちている。一九六三年、『人民中国』や『中国画報』の職場を離れて『周報』へ転じたとき、私が最初に手がけたのは中ソ論戦の仕事であった。第一評から第九評まで、あのソ連修正主義を批判した一連の論文の翻訳である。なにしろ格調の高い原文で、初訳の人たちも張りきっていたから、お手伝いする私も力がはい...
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記念日と言えば、ふつう、楽しい思い出につながるものだが、『北京周報』(日文版)二十周年のばあい、私の記憶は苦汁にみちている。一九六三年、『人民中国』や『中国画報』の職場を離れて『周報』へ転じたとき、私が最初に手がけたのは中ソ論戦の仕事であった。第一評から第九評まで、あのソ連修正主義を批判した一連の論文の翻訳である。なにしろ格調の高い原文で、初訳の人たちも張りきっていたから、お手伝いする私も力がはい...