私が、新しく発足することになった『北京周報』日本語版のお手伝いをするために、それまで仕事をしていた建築工程部関係の部門から移ってきたのは、一九六三年の夏であった。初めこのお話があった時、しごく簡単に考えてあっさりお引受けしたのであったが、さてきて見て、その忙しいのに驚いた。もともと、忙しいのは一週一回発行の刊行物の宿命であろうが、ことにその頃は、大論文がつぎつぎ発表されて、それを最初に日本語訳にす...
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私が、新しく発足することになった『北京周報』日本語版のお手伝いをするために、それまで仕事をしていた建築工程部関係の部門から移ってきたのは、一九六三年の夏であった。初めこのお話があった時、しごく簡単に考えてあっさりお引受けしたのであったが、さてきて見て、その忙しいのに驚いた。もともと、忙しいのは一週一回発行の刊行物の宿命であろうが、ことにその頃は、大論文がつぎつぎ発表されて、それを最初に日本語訳にす...