私は一九七四年の七月から一九八一年の暮まで七年半の間、北京周報社の専家として日本語版の翻訳のお手伝いをした。私が赴任した頃は、「十年の動乱」と呼ばれる、あの「文化大革命」が一応の収拾期に入り、大衆の日常生活の次元での激しい闘争はすでにみられなくなっていたが、われわれの直接目に見えない政治の舞台では依然として熾烈な闘いがくりひろげられていたようであった。いま振り返って見ると、七四年から七五年にかけて...
Please login first!
私は一九七四年の七月から一九八一年の暮まで七年半の間、北京周報社の専家として日本語版の翻訳のお手伝いをした。私が赴任した頃は、「十年の動乱」と呼ばれる、あの「文化大革命」が一応の収拾期に入り、大衆の日常生活の次元での激しい闘争はすでにみられなくなっていたが、われわれの直接目に見えない政治の舞台では依然として熾烈な闘いがくりひろげられていたようであった。いま振り返って見ると、七四年から七五年にかけて...