「三十一歳の時、ハルビン市近くの興隆鎮という郷里にもどって病気の母を見舞いました。当時、母は涙を流しながら、お前は私が生んだ子じゃない、日本人の子だよ、と言いました。最初は母がもうろくしたと思いましたが、母はこれはほんとうだよと言いました。これを聞いて耳鳴りがするほど怖くなりました。数日後、母は死にました。臨終の時、母は私に、いま、中国と日本は仲よしになって、往来が許されたのだから、お前は身内探し...
Please login first!
「三十一歳の時、ハルビン市近くの興隆鎮という郷里にもどって病気の母を見舞いました。当時、母は涙を流しながら、お前は私が生んだ子じゃない、日本人の子だよ、と言いました。最初は母がもうろくしたと思いましたが、母はこれはほんとうだよと言いました。これを聞いて耳鳴りがするほど怖くなりました。数日後、母は死にました。臨終の時、母は私に、いま、中国と日本は仲よしになって、往来が許されたのだから、お前は身内探し...