一九八〇年以後、政府はチベットの民力を養うため、土地の個人使用を認め、家畜の私有を許可し、自主経営を認めるという政策をとり、チベット農民は貧困から脱却し富裕への道を歩きはじめるようになった。ヤルンズァンボ江のほとりのジェサ(結砂)村に住むガマサンチュさんは、ここで真っ先に農作業の機械化と家庭電化を実現した。一九八二年に一ヘクタールの土地を請け負い、農業科学技術を重視することによって、食糧の年産は九...
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一九八〇年以後、政府はチベットの民力を養うため、土地の個人使用を認め、家畜の私有を許可し、自主経営を認めるという政策をとり、チベット農民は貧困から脱却し富裕への道を歩きはじめるようになった。ヤルンズァンボ江のほとりのジェサ(結砂)村に住むガマサンチュさんは、ここで真っ先に農作業の機械化と家庭電化を実現した。一九八二年に一ヘクタールの土地を請け負い、農業科学技術を重視することによって、食糧の年産は九...