埼玉県飯能市の西野長治さんは一九七七年、中国三誌(北京週報、人民中国、中国画報)友好の翼訪中団で訪中して以来、郷土史研究のかたわら、地元の中国画報読者新井一郎さんと日中友好に取り組んできた。西野さんは青年時代、赤紙一枚の召集令で中国大陸へ一兵卒として行ったことがあり、その教訓をふまえて、両国の相互理解の必要性を痛感して、中国三誌の読者となった。「言必行、行必果」という中国のことわざがあるが、西野さ...
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埼玉県飯能市の西野長治さんは一九七七年、中国三誌(北京週報、人民中国、中国画報)友好の翼訪中団で訪中して以来、郷土史研究のかたわら、地元の中国画報読者新井一郎さんと日中友好に取り組んできた。西野さんは青年時代、赤紙一枚の召集令で中国大陸へ一兵卒として行ったことがあり、その教訓をふまえて、両国の相互理解の必要性を痛感して、中国三誌の読者となった。「言必行、行必果」という中国のことわざがあるが、西野さ...