中国の八大都市の一つ西安は、名所旧跡が多く、文化も発達し、昔から世界各国との交流も活発。中でも日本との往来が最も多い。唐太宗の貞観四年(六三〇年)から昭宗の乾寧元年(八九四年)までの二百六十四年間に、遣唐使が十三回派遣された。人数は一回に、少ない時で百二十人、多い時は六百五十人にも達した。皇帝は日本の使者を多くの場合、長安の麟徳殿で盛大にもてなし、時には官職まで与えた。帰国の際にも送別宴を催し、時...
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中国の八大都市の一つ西安は、名所旧跡が多く、文化も発達し、昔から世界各国との交流も活発。中でも日本との往来が最も多い。唐太宗の貞観四年(六三〇年)から昭宗の乾寧元年(八九四年)までの二百六十四年間に、遣唐使が十三回派遣された。人数は一回に、少ない時で百二十人、多い時は六百五十人にも達した。皇帝は日本の使者を多くの場合、長安の麟徳殿で盛大にもてなし、時には官職まで与えた。帰国の際にも送別宴を催し、時...