中日文化交流の歴史は長いが、そのなかで、舞楽「蘭陵王入陣曲」が日本に伝わり、「蘭陵王」としていまなおその姿をとどめていることは、本家の中国では伝承されていないだけに、友好往来の佳話とされている。北斉(五五〇~五七七)の神武帝の孫で、北斉末期に活躍した蘭陵王高粛(字は長恭)(五四三~五七三)は文武両道に通じ、その際立った戦功により楽城、長平、鉅鹿、高陽などの郡公や徐州蘭陵王に封じられ、大将軍、大司馬...
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中日文化交流の歴史は長いが、そのなかで、舞楽「蘭陵王入陣曲」が日本に伝わり、「蘭陵王」としていまなおその姿をとどめていることは、本家の中国では伝承されていないだけに、友好往来の佳話とされている。北斉(五五〇~五七七)の神武帝の孫で、北斉末期に活躍した蘭陵王高粛(字は長恭)(五四三~五七三)は文武両道に通じ、その際立った戦功により楽城、長平、鉅鹿、高陽などの郡公や徐州蘭陵王に封じられ、大将軍、大司馬...