一九四九年、中国人民政治協商会議が開催される前、国家の名称についての下相談と討論が行われた。毛沢東は中南海で、張治中氏など一部の党外人士を含めた座談会を開き、みなの意見を聞いた。最後に毛沢東は、中央の意見としては「中華人民民主共和国」をとるつもりであることを明らかにした。これに賛成したものもおれば、反対したものもいた。張治中氏は「『共和』という言葉にはもともと『民主』の意味が含まれているので、ダブ...
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一九四九年、中国人民政治協商会議が開催される前、国家の名称についての下相談と討論が行われた。毛沢東は中南海で、張治中氏など一部の党外人士を含めた座談会を開き、みなの意見を聞いた。最後に毛沢東は、中央の意見としては「中華人民民主共和国」をとるつもりであることを明らかにした。これに賛成したものもおれば、反対したものもいた。張治中氏は「『共和』という言葉にはもともと『民主』の意味が含まれているので、ダブ...