一九九六年は中国音楽年であった。十二月七日の夜、数千人の観衆の熱狂的な歓声の中、中国の有名な指揮者陳攣陽(しょうよう)の率いる上海交響楽団は、何度もアンコールの拍手にこたえていた。ここに至って一年近くの間、中国の音楽界全体を沸き上がらせた’96中国国際シンフォニー音楽年の活動のり幕が上海にて下ろされたのである。一九九六年という年は交響曲で代表される西洋のクラシック音楽が、中国という巨大な東方の大地...
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一九九六年は中国音楽年であった。十二月七日の夜、数千人の観衆の熱狂的な歓声の中、中国の有名な指揮者陳攣陽(しょうよう)の率いる上海交響楽団は、何度もアンコールの拍手にこたえていた。ここに至って一年近くの間、中国の音楽界全体を沸き上がらせた’96中国国際シンフォニー音楽年の活動のり幕が上海にて下ろされたのである。一九九六年という年は交響曲で代表される西洋のクラシック音楽が、中国という巨大な東方の大地...