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Your search : [ author:中日友好協会副会長 林林] Total 5 Search Results,Processed in 0.208 second(s)
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1. 斬新さ、新鮮味で読者を魅了
郭沫若氏は生前、日本の友人と会見するとき、いつも劉徳有氏に通訳させていた。劉徳有氏の通訳は正確で、音声がきれいだった。ほかの人が郭沫若氏のために通訳しても、あんなにうまくいかず、ときには、適訳でなかったため、その場で訂正されたこともあった。一九六一年、巴金氏を団長とする中国作家代表団が東京で開かれたアジア·アフリカ作家緊急会議に参加したとき、劉氏が通訳にあたった。そのとき、私は彼とよくつき合い、彼
Author: 中日友好協会副会長 林林 Year 1988 Issue 05 PDF HTML
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2. 中日平和友好条約の深遠な意義
中日平和友好条約は十月下旬に東京で批准書を交換し、正式に発効することになった。この条約は決して一時的、便宜的な普通の条約ではなく、あわせて全世界の人口の四分の一を擁する二つの国が結んだ、重大な政治的意義と深遠な歴史的意義をもつ条約である。中国と日本はアジアに位置する隣邦であり、両国の関係は曲折した歴史をたどってきたが、平和友好条約の締結は、まさに両国の関係の新たな転換点を条約という形で確認したもの
Author: 中日友好協会副会長 張香山 Year 1978 Issue 41 PDF HTML
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3. 中日国交正常化十周年
十年は歴史の長河のなかでは一瞬にすぎない。だが、ある意味において十年の重みは時として数十年ないし百年以上の重みがある。一九七二年中日国交正常化以来の十年は、中日関係史において、このような重みをもっている。一九七二年九月、田中角栄首相が中国を訪れ、中日両国政府は共同声明を発表し、両国の外交関係樹立を宣言した。これによって、三十五年にわたって続いた両国間の戦争状態に終止符が打たれたばかりでなく、一八九
Author: 中日友好協会副会長 張香山 Year 1982 Issue 39 PDF HTML
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4. 新たな飛躍的発展を望む
今年の八月一日は『北京周報』日本語版創刊二十周年にあたる。二十年間もつづく雑誌は、日本ではそう珍しくはないが、新しく生まれた社会主義国―中華人民共和国では珍しい。とくに一九六六年から一九七六年にかけての十年の混乱期に、数かずの困難を克服して発行をつづけた雑誌は、そうざらにはあるまい。この意味からいって、『北京周報』日本語版の創刊二十周年は祝ってしかるべきことである。『北京周報』日本語版は、日本で飛
Author: 中日友好協会副会長 張香山 Year 1983 Issue 31 PDF HTML
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5. チチハル「SOS児童村」での見聞
記者がチチハルの「SOS児童村」の入口を入った時は、すでに夕暮れに近かった。村の中の赤い屋根の美しいコテージが夕日に映えて見るものの目を奪い、大きな窓からは温かそうなオレンジ色の光がこぼれている。窓際のカーテンの風情はまた格別で、そよ風の中で軽やかに舞い、暖かい家庭的雰囲気が心の中にまで染み込んできた。ここはかつて孤独だった子供たちが、幸運にも新たな生活の場である家庭を手に入れた所である。目の前の
Author: 特約記者 楊林林 Year 1998 Issue 25 PDF HTML