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Your search : [ author:凌揚] Total 19 Search Results,Processed in 0.144 second(s)
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1. 心に生きつづける作家―老舎
老舎は多数の著書がある傑出した作家である。ここ数年、新劇『茶館』は北京からヨーロッパに渡り、さらに日本でも好評を博し、小説『駱駝祥子』の映画化も内外で歓迎された。翻訳も含めた作品が版をあらためて相次いで出版され、売行きもよい。それを、老舎は目にすることはできない。一九六六年八月に迫害され、死去した「文化大革命」における最初の犠牲者の一人だったからだ。一九七八年には名誉が回復され、今年三月には生誕八
Author: 凌揚 Year 1984 Issue 18 PDF HTML
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2. この三年間の歩み
十八日間にわたる今代表大会は、中国の文学·芸術界のかつてない盛んな集いといえるものであった。これだけ大勢の人が一堂に会し、卒直に話しあい、熱気のこもった討論をくりひろげたことはかつてない。この大会は一九六六年以降、十年間もつづいた文化的専制がすでに打破されたことを示すメルクマールである(その名残りがまだ多少あることは否めないが)。中国の文学·芸術がすでに百花咲きほこる状況に達したというにはまだ時期
Author: 本誌記者 凌揚 Year 1979 Issue 52 PDF HTML
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3. 文革後の中国の医療·保健事業
六六年から始まった十年の激動を経て、中国の医療·保健の状況はどうなったか。政府の方針は根本的に変化したのか。これらの問題について本誌の婦人記者は銭信忠[注释1]衛生部長にインタビューするとともに上海の市内、郊外を取材した。現代化についての衛生部長の談話―現代化の実現をめざす「新長征」がいま全国で繰りひろげられているが、医療衛生の目標はどこに置いているのか。一言で言えば、中国の医学技術を国際的先進水
Author: 本誌記者 凌揚 Year 1980 Issue 25 PDF HTML
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4. 中国の文字改革
現代化建設をすすめるなかで、中国は古くて、字形の複雑な漢字をどのように改革しようとしているか、多くの読者から質問がよせられている。ここに、中国の文字改革の現状を紹介する。
Author: 本誌記者 凌揚 Year 1980 Issue 33 PDF HTML
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5. 中国の漢方薬
今年の本誌第二五号に特集「文革後の中国の医療·保健事業」が掲載されると、日本、アメリカ、デンマークなどの読者から中国の伝統的漢方薬の医療効果についても紹介してほしいと要望があった。そこで本誌記者は最近、北京市内の病院、製薬工場、研究所を訪ねて漢方薬の医療効果や製造過程を取材した。中国人は数千年前から漢方薬を用い、よい治療効果をあげてきた。漢方薬は毒性がないし副作用も極めて少なく、病人の健康回復と抵
Author: 本誌記者 凌揚 Year 1980 Issue 50 PDF HTML
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6. アジア地域考古学シンポジウム
アジア地域考古学シンポジウムがさる八月、中国の北京と西安で開催された。シンポジウムに出席した国連教育科学文化機構(ユネスコ)加盟のアジア十ヵ国の考古学者はそれぞれ自国の考古学研究の状況を報告し、経験を交流するとともに、中国のいくつかの古代遺跡発掘現場、博物館、歴史遺跡を見学した。シンポジウムは相互間の理解と友情を深めた。これは、中国で開かれた最初の国際考古学シンポジウムである。シンポジウムでは、中
Author: 本誌報道員 凌揚 Year 1983 Issue 44 PDF HTML
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7. 文化界の巨人郭沫若に関する研究の動向
郭沫若(一八九二~一九七八)は、今世紀初頭以後におけるわが国のプロレタリア文化運動の主将であり、リーダーであった。かれはその該博な学識、卓抜な才能、学術、芸術両面における造詣の深さから時代と民族の誇りとされてきた。死後は、さまざまな研究がすすめられ、記念行事がおこなわれた。今年五月には、全国的な学会が発足し、同時にここ数年の研究状況を交流するシンポジウムが北京で催された。本誌も一九七八年二五号と一
Author: 本誌記者 凌揚 Year 1983 Issue 48 PDF HTML
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8. 現代中国の針灸療法
現在、中国ではハリ·キュウによる治療がさかんである。鎮痛のためばかりでなく、病気治療にも応用され、慢性疾患ばかりでなく、急性炎症やアメーバ赤痢のような急性疾患にも適用されている。科学的手段による研究によって、ハリは人間の体の諸器官の機能を調整し、炎症に効力を発揮し、下熱作用をもち、患部の癒着をうながし、免疫力を高めることが明らかにされている。こうした中国の伝統的療法が日ましに重視されるようになった
Author: 本誌記者 凌揚 Year 1984 Issue 36 PDF HTML
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9. 門戸を開く温州市
記者は上海から船に乗りこみ一路南へ、一夜を経て温州についた。九百人余りの乗客を載せた五千トン級の客船は直接市街区の埠頭に横づけされた。町並はいかにも古めかしい。大都市とは違って、道路は狭く、曲がりくねっており、小さな路地がいりくんでいる。幅一メートルほどの歩道は往き来する人びとでいっぱい。自転車が多く、かなりのスピードで走っているのに衝突しないのが不思議なくらいだ。古い建物が多いためか、埠頭のそば
Author: 本誌記者 凌揚 Year 1985 Issue 16 PDF HTML
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10. 中部沿海地方の良港―連雲港
中国西部辺境地帯の新疆から中国中部を横断する延々三千六百キロに及ぶ大動脈が黄海の沿岸に位する不凍港の連雲港に達する。地図を見ると、その後背には豊じょうな中部大平野と資源豊かな西部辺境地帯があり、ここの自動車道路や海運などの交通もひじょうに便利である。一九八四年五月、連雲港は他の十三沿海都市とともにさらに世界に開放することになった。最初の印象連雲港へ取材に行く前、その南にある沿海大都市の上海を訪れ、
Author: 本誌記者 凌揚 Year 1985 Issue 17 PDF HTML