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1. 奇跡を産む中国の伝統医学
楊履新氏は、三本の指を黄さんの手首の動脈の上に、そっと置いた。そして、ほんの十数秒もすると、黄さんの方に向き直って、妊娠のお祝いを述べた。黄さんは、一カ月後、ふたたび楊氏もとにやって来て、西洋医学による検査の結果、妊娠一カ月と数日であることを報告した。これはギリシャ神話にも似た話である。ある女性が妊娠してわずか数日後に妊娠していることを確定するのは、トップレベルの診断技術をもってしても、大変難しい
Author: 本誌記者 王国振 Year 1994 Issue 50 PDF HTML
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2. チベットは独立国か
チベット自治区の歴史と現状に関するわれわれの報道は常に読者を大いに引き付け、返ってくる反応も基本的には良い評価を与えてくれるものばかりであった。しかし、いくつかの批判的な意見も、われわれの手元には届いている。例えば、チベットの人々が宗教の自由を享受していることをわれわれが報道すると、イギリスの何人かの読者は記事を読んだ後に「大変驚いた」とする手紙を寄せてきた。そういった人たちはそれぞれの地元のメデ
Author: 本誌記者 王国振 Year 1998 Issue 33 PDF HTML
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3. チベットの人たちには宗教信仰の自由があるのか
本誌今年第一号に「宗教の自由を享受するチベットの人々」という記事が記載されてから、何人かのイギリスの読者が質問の手紙を寄せてきた。私はこれら手紙に繰り返し眼を通し、二つのことについて回答する必要があると感じた。一つは、チベットの人たちは今日果たして宗教信仰の自由を享有しているのかということ、いま一つは、これらのイギリスの読者が本誌の記事を見てなぜ「衝撃」を受けたのかということである。チベットには宗
Author: 本誌記者 王国振 Year 1998 Issue 33 PDF HTML
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4. 山の資源に頼って
外国人専家三人を含む記者団は、この間、貴州へ取材に赴き、その見聞をまとめてここに掲載する。 ―編集者北京から貴州へ向かう汽車は二晩の強行軍の旅のあと、夜が明けた頃には省都の貴陽まで四時間ぐらいのところに来ていた。同じ車両の貴州の若者たちはみんな興奮して、おしゃべりをしたり、食べ物を食べたりしていた。向こうの上の寝台の娘さんは地方の小うたを口ずさみ、二つの金指輪をはめた左手で拍子をとっていた。二十五
Author: 本誌記者 王国振 Year 1998 Issue 45 PDF HTML
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5. 三つの山間都市―貴陽、遵義、桐梓
貴州滞在中、貴陽、遵義、桐梓を取材した。この大中小三つのタイプの都市から、貴州省の二十年来の大きな変化と成果を見ることができる。山間部の都市―貴陽貴州省の面積は十七万七千平方キロであるが、山地と丘陵の面積が約九七%を占めているため、「山の国」と呼ばれている。また、省都の貴陽市は山地と丘陵が市全体の面積の八九·七%を占めているため、「山の国の都」と呼ばれている。私は二十五年前に貴陽に一週間泊まったこ
Author: 本誌記者 王国振 Year 1998 Issue 45 PDF HTML
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6. 貴州省への旅
東南アジアの金融危機は確かに中国の観光市場に衝撃を与え、無錫旅行社に勤務するある友人も今年は客足が遠のいたと愚痴をこぼしていた。しかし、今回の貴州省の取材では、同省の観光業は絶えず上昇の勢いを見せていることが分かった。省旅遊局の傅迎春副局長によると、昨年の貴州省は香港、澳門(マカオ)、台湾地域や外国から受け入れた観光客は延べ十五万人で、四千四百二十九万一千ドルの外貨を獲得し、国内観光客は延べ千八百
Author: 本誌記者 王国振 Year 1998 Issue 45 PDF HTML
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7. どうぞ貴州へ投資を
記者は貴州を見学、訪問し、地元の投資環境がかなり整備され、また大きな特色をもっていることに気付いた。そして「もし私が外国業者なら、貴州に投資したい」と思った。一、山が多いが、交通が便利三〇年代、長征の紅軍が貴州を通ることを選んだ原因の一つは貴州の地形が複雑で隠ぺいしやすいからだった。行軍の途中で紅軍の二つの部隊が数十メートル隔て二つの山をそれぞれ前進し、合流すると、また、一日も歩かなければならない
Author: 本誌記者 王国振 Year 1998 Issue 45 PDF HTML
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8. 昆明市を急ぎ足で見て回る
昆明市の南東百キロのところには一面に石林があり、さまざまな姿で、一番高いものはカリフォルニア州産のカラマツの高さと匹敵する。大昔はこの一帯は海だった。昆明を訪ねた観光客で、石林へ足を伸ばさないものはほとんどいないほどである。先日、筆者は昆明を訪ねてきたが、石林へは行かなかった。というのはそれよりすばらしい見所があったからである。昆明世界園芸博に対する専門テーマの取材が目的であり、おまけに時間が四日
Author: 本誌記者 王国振 Year 1999 Issue 22 PDF HTML
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9. 遼寧省西部回廊の「メトロポリタン·シャングリラ」
記者の以前の住居は職場から十四キロ離れていて、通勤には四十分ないし六十分かかった。今の住居は職場からの距離がその半分になったが、それでも何の代わり映えもなく、通勤には三十分から三十五分はかかる。北京の交通事情は、確かに問題である。たとえ多くの道路が新たに整備されたとはいえ、都市の人口、自転車や通行人の数もここ数年来絶えず増加の一途をたどっている。「道が増えれば増えるほど、交通も渋滞するようになった
Author: 本誌記者 王国振 Year 1999 Issue 38 PDF HTML
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10. 世紀の盛典
二十世紀三〇年代に、中国の学者で、現代詩人の聞一多(一八九九~一九四六)が「七子の歌」という詩を作ったが、その中の一節に次のような下りがある。「媽港(マカオ)」は私の本名ではないことを知っているか、あなたの懐から長く離れているのですよ、お母さん!しかし、彼らは私の肉体のみを略奪したが、お母さんはなおも私の魂を預かって下さっている。三百年来夢にも忘れられない生母よ!息子の幼児の名前―「澳門」でわたし
Author: 本誌記者 王国振 Year 1999 Issue 52 PDF HTML