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1. 友好の種をまく日本青少年訪中団
年の暮れもおしつまった十二月下旬、第五回日中青少年学生交流大会訪中団の一行千五百六十四人は、日本青少年の友情と相互理解増進の願いをこめて中国を訪れ、十日間(十二月二十五日から一月三日まで)の友好交流活動を行った。毎日新聞社、毎日コミュニケーションズと中華·全国青年連合会の共催で一九八三年から始まった日中青少年学生交流大会は、数多くの分野での交流企画を軸に、両国の青少年間の友情と相互理解を深めること
Author: 本誌記者 陳頴子 Year 1988 Issue 1 PDF HTML
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2. 中国料理を習う外国人
「中国の調理法は古風で、独特の風格をもつことでよく知られています。中国に滞在したことのある外国人は、中国調理法の基本を少しばかりマスターして帰国すると、自慢のたねになります。私たちの家庭も楽しくなりますし、中国の懐かしい思い出にもなるでしょう」。―昨年十二月十九日、北京市服務管理学校の第一期国際友人調理講習会の卒業パーティーで、学生代表のオーストラリアのミネット·アムブローズ公使夫人は、こうあいさ
Author: 本誌記者 陳頴子 Year 1988 Issue 18 PDF HTML
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3. 正夢の旅
四月十六日の夜、声楽家、柏木博子さんの訪中初公演が行われた北京音楽庁はその広々としたホールが空席のないほど聴衆で埋まった。柏木さんはイギリス人のスティファン·ハリソン氏のピアノ伴奏で、日本語、ドイツ語、イタリア語で「荒城の月」、「マリア」、オペラ詠嘆調「シンデレラ」など、日本と世界の名曲十数曲を次々と歌った。観衆はすっかり魅了され、一曲ごとに、満場が拍手、喝釆にわいた。柏木さんはアンコールにこたえ
Author: 本誌記者 陳頴子 Year 1991 Issue 22 PDF HTML
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4. ひたむきな友情、誠実な協力
大連市は一九七九年に北九州市と、八二年に舞鶴市と友好都市関係を締結し、十数年来、この二つの姉妹都市との関係はたえず発展し、交流の範囲はたえず拡大してきた。それは、最初の地方政府間の友好交流から、経済、貿易、工業、交通、都市建設、環境保護、文芸、スポーツ、教育、医療衛生、観光などの各分野に広がった。交流の形式も多種多様で、合資企業の設立、各種の展示即売会や貿易商談会の共催のほか、姉妹港、姉妹テレビ局
Author: 本誌記者 陳頴子 Year 1991 Issue 36 PDF HTML
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5. 余生を中国の水稲栽培事業に捧げる原正市氏
中国の農業発展の促進に多大な貢献をした日本人専門家の原正市氏に感謝し、表彰するため、中国国家外国専門家局が主催した北海道岩見沢市への原正市氏銅像贈呈式が六月二十八日午前、北京友誼賓館の多目的ホールでとり行われた。これには、中国側から外交部、国務院対外事務弁公室、国家科学技術委員会、農業部など政府部門の関係者、日本側から阿南惟茂中国駐在日本大使館公使、能勢邦之岩見沢市市長および日中経済協会、日本国際
Author: 本誌記者 陳頴子 Year 1996 Issue 36 PDF HTML
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6. 「一椀から平和を」
十月の北京は秋の気配がただよい、人々の心を楽しませてくれる。このすばらしい季節に、裏千家千宗之若宗匠と千容子夫人が孫平化中日友好協会会長の招きに応じて、第四十次茶道裏千家訪中団を率いて中国を訪れた。裏千家と中国との交流は一九七八年に始まった。当時副総理だった鄧小平氏が訪日の折、十五世家元鵬雲斎千宗室が茶を立て、その答礼として翌年、鄧小平氏が北京の人民大会堂で、千宗室夫妻の率いる日中友好裏千家親善使
Author: 本誌記者 張桂珍 陳頴子 Year 1990 Issue 46 PDF HTML
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7. 一段と団結した大会
ブラジル、コモロ、インドネシア、モザンビーク、ネパール、ベネズェラ、南ベトナムおよびザンジバルの婦女代表団の代表たちは、モスクワ世界婦人大会に参加した後、中国を訪問した。七月十三日、周恩来総理と陳毅副総理は代表たちと会見し、懇談した。翌十四日の日曜日ひる、首都七、○○○あまりの人びとは、人民大会堂で盛大な集会を催し、代表たちを熱烈に歓迎した。歓迎大会で、中国全国婦女連合会の責任者は、あいさつのなか
Author: (本誌記者) Year 1963 Issue 2 PDF HTML
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8. 朝鮮の反米愛国闘争を支持
一九五三年七月二十七日現地時間午前十時に、板門店にあるテントでまるく囲まれたスマートな木造建築のホールで、アメリカの将軍はかれの同胞がいうように、アメリカ側がはじめて敗戦で終わった停戦協定に調印した。この朝鮮停戦協定は、アメリカ帝国主義のおこした恥ずべき朝鮮侵略戦争に終止符をうった。七月の二十七日、中国人民は「アメリカ帝国主義侵略軍を南朝鮮から追い出す共同闘争月間」を成功裏におえた。この闘争月間は
Author: 本誌記者 Year 1963 Issue 4 PDF HTML
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9. 中国でキューバの「七·二六」記念日を祝う
七月二十六日、キューバの武装蜂起十周年を迎えるにさいし、中国はキューバにもっとも熱烈でかつ兄弟的な祝賀をおくるとともに、キューバ人民がアメリカ帝国主義に反対するたたかいと社会主義建設のなかでより大きな勝利をかちとることを祈った。中国共産党中央委員会主席毛沢東、中華人民共和国主席劉少奇、中国全国人民代表大会常務委員会委員長朱徳、国務院総理周恩来は、キューバ革命記念日前日の七月二十五日、キューバ社会主
Author: 本誌記者 Year 1963 Issue 4 PDF HTML
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10. 中国外科医学界の大きな成果
最近全中国は中国外科医学界の大成果を報道したニュースに湧きあがり、世上にまれな外科手術によって一労働者の完全に切断された右腕が接ぎ合わせられ、しかもその手のはたらきはひじょうに早く回復しつつある。上海のある工場で二十七歳の機械工王存柏さんが、右手をのばして押抜き機の一部の機械を調整しようとしたとき、操作規定をまもらなかったため、不注意にも押抜き機のバルプにふれて、腕の関節上半部一インチのところから
Author: 本誌記者 Year 1963 Issue 6 PDF HTML