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Your search : [ author:本誌記者 廖 曄] Total 2048 Search Results,Processed in 0.099 second(s)
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181. 第八回アジア競技大会の見聞
昨年の十二月二十日、バンコク国立競技場のスタンドは、八万の大観衆でぎっしりと埋まった。観衆は熱帯の太陽の照りつけるなかを、第八回アジア競技大会の閉幕式が挙行されるのを何時間も待っていた。夜の帳が降り、競技場では朝鮮民主主義人民共和国チームと南朝鮮チームのサッカーの決勝戦が引き分けとなり、ここに同競技大会の全種目の試合が終了した。十二日間緊張の連続であった選手、審判員、観衆はようやく一息ついた。突然
Author: 本誌記者 鄭方堃 Year 1979 Issue 2 PDF HTML
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182. オウンク族を訪ねて
オウンク(鄂温克)族は中国でも人口の少ない少数民族のひとつであり、その人口は約一万といわれる。そのうち約五千人が中国東北地方のホロンバイル草原のオウンク自治旗に住んでおり、その他はこの旗の周辺諸地域に分散して暮らしている。中国西北部の新疆ウイグル自治区にも僅かながら住んでいる。民族の代表記者はオウンク自治旗を取材訪問した(旗は県に相当する行政単位である)。この旗には牧畜に従事している人が一万四千人
Author: 本誌記者 斉亜 Year 1979 Issue 6 PDF HTML
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183. 廃物の回収と再生
廃物といえば、人びとはすぐ街の路地裏に捨てられているゴミや大都市の郊外に長い間うず高く積み上げられているさまざまな廃棄物を思い出す。たしかに工場や住宅から毎日大量の「ゴミ」がはき出されているが、それらのものは果たして全部が全部廃物なのだろうか。廃物を宝に上海で催された廃物利用展をみると、展示品は必ずしも真の「廃物」とはいえないものである。廃物として処理されたくず鉄は、選別すれば再び製鋼所の有用な原
Author: 本誌記者 周京華 Year 1979 Issue 8 PDF HTML
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184. 長江ダム工事現場にて
記者はこのほど長江中流に建設中の中国最大の水利電力建設工事である葛洲ダムを見て回った。ここでは、長江は堰堤にさえぎられて狭くなり、川底は喧噪な工事現場となっている。労働者は発破をかけてつくった岩盤の上で働いている。新型のブルドーザー、トラックの群れが土や石を運んでいる。日とともにダム、発電所、水門の形を見せつつある構造物の上の方に、ミキサーで攪拌されたコンクリートが大きなクレーンで運ばれ流し込まれ
Author: 本誌記者 向栄 Year 1979 Issue 12 PDF HTML
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185. 北京市革命委員会を訪ねて
今期の北京市革命委員会つまり北京市人民政府の委員は、ぜんぶで百九名である。そのなかには、長期の革命闘争に鍛えぬかれた専従の巻幹部のほか、本来のポストから離れずに委員をつとめている各分野の代表もいる。工業、農業、商業、金融などの関係者、科学技術界、文化教育界の専門家と学者、それに民主諸政党の人士などがそれである。革命委員会は、重要事項を討議するときには全体会議を開くが、日常の活動は革命委員会の主任と
Author: 本誌記者 田三松 Year 1979 Issue 20 PDF HTML
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186. 基層の労組はどのように活動しているか
本誌記者は二〇〇万の人口を擁するハルビン市の総工会と若干の工場の基層労働組合の活動状況をみてきた。労働者·職員代表大会ハルビン(哈爾浜)ベアリング工場は一万二〇〇〇人の労働者を擁する大工場である。さいきん、同工場の労働者·職員代表大会が開かれ、記者はこれに列席を許され労組の活動状況を知ることができた。この大会は二日にわたり開かれた。出席者は六〇〇人。そのうち新旧の労働者代表が六〇%を占め、ほかは技
Author: 本誌記者 向栄 Year 1979 Issue 23 PDF HTML
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187. 杖と足
山を登るときは、主として二本の足に頼るが、杖に頼らなければならないときもある。杖は、足にとって代わることはできないが、足の登攀力を強くすることができる。現代化の事業をすすめるにあたっては、主として自力更生に頼るが、先進的な技術と設備の導入は、自力更生の能力を強くすることにほかならない。記者はこのほど北京郊外の燕山石油化学総公司に属する前進化学工業工場を訪れ、工業の近代化のため、「杖」がどのように「
Author: 本誌記者 周今 Year 1979 Issue 30 PDF HTML
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188. 連鎖反応
新設備を導入してから、旧設備をどう処置するか。後進的な設備を使用している工場は倒産して失業者を出しはしないか。ここに、或る「連鎖反応」の事例を紹介する。北京地区の工場で生産されるセーターは、デザイン、品質ともに優れており、国内外で好評を博している。以前、生産に必要な梳毛糸は自給できず、一九七五年までに、梳毛糸を毎年約三百トン輸入し、外貨九十万ドルを支払った。どうしたら、原料を国内でまかなうことがで
Author: 本誌記者 金幾竹 Year 1979 Issue 30 PDF HTML
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189. 大同を求め小異を残す精神の勝利
リベリアの首都モンロビアで開かれたアフリカ統一機構(OAU)首脳会議は、四日間にわたって激論をたたかわせた末、七月二十一日払暁に閉会した。これは、アフリカ諸国の指導者が新しい情勢のもとにもった重要な会合であった。この会議では、いくつかの問題をめぐって意見が食い違い、論争があったが、会議の経過と結果はアフリカ諸国の共通の願いを表わし、大同を求め小異を残す精神が勝利したことを示している。闘争の継続モン
Author: 本誌記者 王緯 Year 1979 Issue 31 PDF HTML
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190. 解放後の北京三十年
一九四九年十月一日、毛主席は北京の中心部に位置する天安門の上から中華人民共和国の成立を宣言した。北京は中国の首都として今日までの三十年間にどのように変わったか。現在、どのような問題をかかえているか。ここで新旧の北京を比較しながらこれらの諸問題にふれてみよう。歴史雄大な古都には華麗な宮殿もあれば、人民の苦難、外敵の侵入などもあった。一九四九年一月三十一日、古都北京はついに解放された。いまから四千年前
Author: 本誌記者 周京華 Year 1979 Issue 32 PDF HTML