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Your search : [ author:本誌記者 申 健] Total 2059 Search Results,Processed in 0.095 second(s)
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1921. どうしてかれらが「走資派」なのか
福建省の省都福州市の人びとはよく、昨年二月におこった一連の「走資派つまみだし」事件を怒りもあらわにはなす。省党委員会第一書記をはじめ、若干の地区のいちばん末端の農村生産大隊の幹部までが「走資派」としておとしいれられた。省党委員会第一書記の引きまわし事件はそのひとつである。この同志は北京での会議で、「四人組」に「いまなお歩んでいる走資派」と攻撃され、空路北京から福州にもどると、飛行機を降りたとたん、
Author: 本誌記者 田三松 趙一鷗 Year 1977 Issue 39 PDF HTML
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1922. 極右の路線
「四人組」は極右派であり、「徹頭徹尾の走資派であり、凶悪無比の反革命派である」。「かれらの路線は、これ以上右にはいけないほど右なのである」。これは、昨年の暮、「農業は大寨に学ぶ」第二回全国会議で華国鋒主席がのべたことばだ。温州滞在中の数日というもの、記者はいたるところで、「四人組」のこの極右路線にたいする憤まんを耳にした。温州は浙江省の南部にあり、人口三十万。瓯江はここで海にそそぐ。浙江省はわが国
Author: 本誌記者 田三松 趙一鷗 Year 1977 Issue 40 PDF HTML
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1923. ある新生反革命分子の末路
杭州の工場区には、いたるところ「翁森鶴を打倒しよう」というビラが貼ってあった。あっさり「きんちゃくきりの翁を打倒せよ」と、うっぷんをぶちまけたものもある。翁森鶴は、浙江省での「四人組」の手先であった。この人脈のトップに位置していたといってもよい。「四人組」は翁を使って浙江省に手をのばし、この地区をかき乱した。翁は、党をのっとり国家権力を奪おうとする「四人組」の陰謀活動と緊密に呼応していた。翁森鶴と
Author: 本誌記者 田三松 趙一鷗 Year 1977 Issue 41 PDF HTML
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1924. 三たび起伏した理由はなにか
江西トラク汐ー工場は江西省の省都南昌市にあり、わが国のトラクター製造の重点企業の一つである。昨年十月、「四人組」粉砕の朗報が伝わると、それまで八ヵ月間もストップしていた機械がまた動きはじめた。そしてこの月の後半に五〇台のトラクターが生産され、十一月には四〇二台、十二月には六〇六台と上昇をつづけ、今年の上半期の平均月産量は四六九台に達した。このような起伏は、一九七三年前後と一九七五年前後にもおこって
Author: 本誌記者 田三松 趙一鷗 Year 1977 Issue 42 PDF HTML
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1925. 人間の前進に、砂漠が退却
本誌第43号で内蒙古自治区の概況と党の民族政策の実施状況を紹介したが、今号から、同自治区の砂漠対策の成果をはじめ、牧畜地帯での見聞、蒙古族の生活の変遷、人口の増加ぶりなどについて連載する。地平の向うまで荒涼とした、不毛の砂漠を果たして屈服させることができるだろうか。かつて一部の人は、砂漠を「死の海」と称し、そこに生命をもたらすことは人類にはとてもできないと考えていた。しかし、解放後の内蒙古の砂漠対
Author: 本誌記者 高雲 向栄 Year 1977 Issue 44 PDF HTML
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1926. ある牧畜人民公社を訪ねて
内蒙古自治区はわが国の主要牧畜区の一つであり、総面積の三分の二以上が広漠たる草原で、そこに主として牧畜業を営む一六三の人民公社が点在している。ウラントゥケ(烏蘭図格)人民公社はその一つである。われわれは自治区の行政中心地フホホトからジープを駆って西北に向かった。大青山を越えると、一望千里の大草原が眼前に広がった。車は緑のカーペットのような草原を驀走する。そのうち、前方に一群の家屋が見えてきた。われ
Author: 本誌記者 高雲 向栄 Year 1977 Issue 46 PDF HTML
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1927. 蒙古族の人口―激減から増加へ
われわれは内蒙古各地の牧場地帯を回って、蒙古族の青少年と児童の多さに気付いた。解放前、「子供の数が白昼の星のように少ない」とされていた蒙古族居住地域にあっては、これは大きな意味のある変化である。旧中国では、蒙古族は他の少数民族と同様、人口がどんどん減っていた。史料によると、清朝(一六六四―一九一一)初期の内蒙古西部のイクチャオ(伊克昭)盟[注释1]の人口は四十数万人あったが、二百数十年後の一九四九
Author: 本誌記者 高雲 向栄 Year 1977 Issue 47 PDF HTML
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1928. 武装した労働者、農民
中国人民解放軍はこれまでの軍隊とは根本的に異なる特徴をもつ新しい型の部隊である。 本誌記者はこのほど広州近郊の陸軍某師団を取材した。本号から人民解放軍の現状紹介を連載する。 ―編集部いく重にもかさなる山々にかこまれた、師団の駐屯地を訪れると、まず整然とたち並ぶ褐色の兵舎と練兵場で術科訓練にいそしむ緑色の軍服を着た兵士たちの姿が目に飛びこんで来る。まわりの竹やぶや松林の前には、「警戒心を高め、祖国を
Author: 本誌記者 周南行 羅孚 Year 1977 Issue 49 PDF HTML
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1929. 党が鉄砲を指揮する
毛主席は、中国人民解放軍が創設されたその日から、軍隊に対する党の絶対的指導を、その根本原則とした。それはなぜか?その具体的やり方は?この問題について、記者は師団の張強政治委員と徐宗昌政治部主任を訪ねて、つぎのような一問一答をおこなった。重要な意義問 「党が鉄砲を指揮する」意義はどこにありますか?答
Author: 本誌記者 周南行 羅孚 Year 1977 Issue 50 PDF HTML
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1930. 民主主義の伝統
中国人民解放軍のどこの兵営を訪ねて見ても、すぐ誰が兵士で誰が将校かを見わけることはできない。みんな同じ様な赤い襟章の軍服を着、赤い徽章の軍帽をかぶっている。われわれが訪ねたこの師団でもそうである。末端単位(中隊以下の単位を指す)の将校は兵士と同じ兵舎に住み、同じ食事をとり、いっしょに学習し、いっしょに訓練をうけ、レクリエーションもいっしょに楽しむ。上級機関の指導将校と指導機関の一般幹部もしょっちゅ
Author: 本誌記者 周南行 羅孚 Year 1977 Issue 51 PDF HTML