Current Location: Home » Full Text Search
Your search : [ author:本誌記者 金陵] Total 2044 Search Results,Processed in 0.096 second(s)
-
1931. 武装した労働者、農民
中国人民解放軍はこれまでの軍隊とは根本的に異なる特徴をもつ新しい型の部隊である。 本誌記者はこのほど広州近郊の陸軍某師団を取材した。本号から人民解放軍の現状紹介を連載する。 ―編集部いく重にもかさなる山々にかこまれた、師団の駐屯地を訪れると、まず整然とたち並ぶ褐色の兵舎と練兵場で術科訓練にいそしむ緑色の軍服を着た兵士たちの姿が目に飛びこんで来る。まわりの竹やぶや松林の前には、「警戒心を高め、祖国を
Author: 本誌記者 周南行 羅孚 Year 1977 Issue 49 PDF HTML
-
1932. 党が鉄砲を指揮する
毛主席は、中国人民解放軍が創設されたその日から、軍隊に対する党の絶対的指導を、その根本原則とした。それはなぜか?その具体的やり方は?この問題について、記者は師団の張強政治委員と徐宗昌政治部主任を訪ねて、つぎのような一問一答をおこなった。重要な意義問 「党が鉄砲を指揮する」意義はどこにありますか?答
Author: 本誌記者 周南行 羅孚 Year 1977 Issue 50 PDF HTML
-
1933. 民主主義の伝統
中国人民解放軍のどこの兵営を訪ねて見ても、すぐ誰が兵士で誰が将校かを見わけることはできない。みんな同じ様な赤い襟章の軍服を着、赤い徽章の軍帽をかぶっている。われわれが訪ねたこの師団でもそうである。末端単位(中隊以下の単位を指す)の将校は兵士と同じ兵舎に住み、同じ食事をとり、いっしょに学習し、いっしょに訓練をうけ、レクリエーションもいっしょに楽しむ。上級機関の指導将校と指導機関の一般幹部もしょっちゅ
Author: 本誌記者 周南行 羅孚 Year 1977 Issue 51 PDF HTML
-
1934. 水魚の関係
記者が同師団の病院を訪れたとき、窓の外からなにか言い争っているような声が聞えてきた。それは附近の生産大隊の隊長が公社員を代表して特産の荔枝(れいし)を病院に贈りとどけてきたのを病院の係員が懸命に辞退しているのだった。かれらはひとしきり友好的な「論争」を交わしていたが、結局「妥協」が成立し、病院側がこのひとかごの新鮮な荔枝を公定価格で買い取ることになった。副院長の張伯安同志はにこにこ笑いながら、「わ
Author: 本誌記者 周南行 羅孚 Year 1977 Issue 52 PDF HTML
-
1935. 労働競争
本号から鉄道シリーズとして、鉄道部門の労働競争、中国の鉄道の性格、自力更生による鉄道建設などを紹介する本誌記者のルポルタージュをおとどけする。 ―本誌編集部北京発上海行き直通列車の車中の人となったわれわれは、たちまち社会主義労働競争の熱気につつまれた。列車が発車すると間もなく、車内放送を通じ、列車乗務員が繰りひろげている「移動紅旗競争」の実態が旅客に披露された。それによると、各車両ごとの整頓、衛生
Author: 本誌記者 利木 向栄 Year 1978 Issue 17 PDF HTML
-
1936. 鉄道は人民のもの
中国では鉄道は国営企業であり、鉄道従業員は国家の主人公である。鉄道は国民経済の発展と人民の利益のために奉仕するものである。人民は鉄道を愛し、鉄道を「人民の鉄道」と呼んでいる。中国西南部の成都と昆明を結ぶ成昆鉄道を建設するさい、工事が四川省の甘洛県まで進捗(しんちょく)したとき、この人口九万人たらずの山間の小県は、一度に多数の建設労働者を迎えてその宿舎を急いで設営しなければならなくなったが、イ(彝)
Author: 本誌記者 利木 向栄 Year 1978 Issue 18 PDF HTML
-
1937. 難関を突破して鉄道を敷設
一九四九年の解放以前の中国の鉄道には七十三年もの歴史があるが、当時の機関車はいずれも外国製のものであった。解放後二十八年の今日、中国の鉄道総延長は社会主義建設の必要からすればまだまだ不十分なキロ数しかなく、一部の鉄道技術は世界の先進技術よりだいぶ劣っている。にもかかわらず、中国にはすでに国産の設備と資材による鉄道施設があり、また高山渓谷地帯の複雑な地形の所でも鉄道を敷設する能力もある。自力更生われ
Author: 本誌記者 利木 向栄 Year 1978 Issue 19 PDF HTML
-
1938. 革命ゆかりの地を訪ねて(一)
三十年前の十月一日、毛沢東主席は北京の天安門で中華人民共和国国旗―五星紅旗をはじめてかかげ、全世界に向かって「中国人民は立ち上がった」と宣言した。中国各地には天安門と似た革命ゆかりの地がたくさんある。こんにち、そのほとんどが内外の観光客に開放されている。さいきん、本誌の数名の記者は各地の革命ゆかりの地を訪問し、中国共産党の創立から中華人民共和国誕生までの二十八年間のいくつかの重要な歴史的出来事を振
Author: 本誌記者 秦雲 戴緯 Year 1979 Issue 34 PDF HTML
-
1939. 革命ゆかりの地を訪ねて(二)
中華人民共和国建国三十周年を迎えようとしているとき、本誌記者は革命ゆかりの地を訪ね、いくつかのルポを掲載することにした。これらのルポは、一九二一年の中国共産党の創立から一九四九年の中華人民共和国成立までのいくつかの重要な歴史の断片を報ずるものである。今回掲載するのはその(二)である。(一)は本誌第三十四号に掲載。南昌蜂起わたしたちは江西省の省都南昌市の街頭を散歩した。雨あがりの街頭は清潔そのもので
Author: 本誌記者 戴偉 秦雲 Year 1979 Issue 36 PDF HTML
-
1940. 革命ゆかりの地を訪ねて(三)
中華人民共和国建国三十周年記念日(一九七九年十月一日)が間近に迫っている。一九二一年、中国共産党の創立以来、一九四九年全国解放までの闘争過程は壮麗な史詩である。本誌記者は一連の革命ゆかりの地を訪ねてきたが、ここに掲載するのは中国現代革命史第三時期―抗日戦争時代を振りかえったものである。大革命時期(一九二四―一九二七)と第二次国内革命戦争時期(一九二七―一九三七)のルポはすでに本誌三四号、三六号に掲
Author: 本誌記者 戴緯 秦雲 Year 1979 Issue 38 PDF HTML