Current Location: Home » Full Text Search
Your search : [ author:本誌記者 金陵] Total 2044 Search Results,Processed in 0.098 second(s)
-
1941. 革命ゆかりの地を訪ねて(四)
このレポは本誌記者が取材した革命ゆかりの地訪問記の第四部分である。一、二、三部分はすでに本誌第三四、三六、三八号に掲載された。これらのレポは、一九二一年の中国共産党の創立から一九四九年の人民共和国成立までの若干の重要な歴史的断片を報ずるものである。本号が扱っているのは第三次国内革命戦争時期(一九四五―一九四九)にあたる。重慶交渉重慶市の西郊に出ると、遠く赤土の山の上に建物が見える。そこが紅岩村の革
Author: 本誌記者 秦雲 戴緯 Year 1979 Issue 39 PDF HTML
-
1942. 「新長征」の旗手―上海
歴史の荒波にもまれつつ成長してきた中国最大の工業都市上海はいま、四つの現代化に取り組む各省、市の学び、追いつく目標となり、経済連合の対象として引っ張りダコだ。これは上海が国民経済全体に占める重要な地位、果たしている大きな役割からくるのも一因だが、それ以上に社会主義的近代経済を発展させ、管理する過程で積んだ豊かな経験と全国のトップに立つその総合的な経済的効果の高さがモノを言っている。先の全人代で趙紫
Author: 本誌記者 夏振 剣川 Year 1982 Issue 1 PDF HTML
-
1943. 上海工業の新しい歩み
国民経済調整の核心、経済的効果の向上をめざす新しい道は、先号でもお伝えしたように上海にとっては手なれたものといえる。しかし、四つの現代化建設という新しい情勢のもとでは、やはり新しい課題も多い。本号はそれらの課題の解決に取り組む上海工業の新しい歩みをご紹介しよう。「元帥」ぶらない「元帥」というのは製鉄産業に与えられたニックネーム。一九五八年からの二十数年間、中国各工業部門のなかでも特に抜きん出た存在
Author: 本誌記者 夏振 剣川 Year 1982 Issue 3 PDF HTML
-
1944. 南海県に見る繁栄の道
この数年間の中国農村経済の様変わりは、目を見はらせるものがある。しかし、この変化の性格については、国外にさまざまな見方や議論があるようだ。それらに答えるには、なんといっても基本的事実をはっきりさせることが先決だと思う。ここで紹介する南海県は比較的豊かな部類に入る県だが、他の地域と大体同じような発展過程をたどってきた。南海県の発展ぶりからは中国農村の今日の状態、つまり、どこが変わり、どこが変わってい
Author: 本誌記者 京華、李霞 Year 1982 Issue 17 PDF HTML
-
1945. 歩み出す更生への道
刑事罰の対象とはならないが、違法行為のあった者をどう扱うか。とくに、見過すとついには刑事犯になる恐れのある者に対しては、適切な措置を講ずる必要がある。中国政府は全国人民代表大会常務委員会の採択した「労働矯正に関する国務院の決定」にもとづいて、労働を通じて矯正し、更生させる方法をとっている。犯罪の防止と減少、社会に害をおよぼす者を社会に役立つ人にするのがこの措置の目的だ。 そうした人びとを収容し、一
Author: 本誌記者 周諍 劉斌 Year 1983 Issue 5 PDF HTML
-
1946. ラテンアメリカ諸国の連帯強化に努める
メキシコ·シティに着いたのは、ちょうど外交の季節のさなかだった。ミゲル·デラマドリ大統領は一九八二年の国家元首就任いらい、初の外国訪問を南北アメリカ諸国におこなったところだったし、ベルナルド·セプルベダ外相も三月の西ヨーロッパ訪問ののち、当時パナマ·シティでひらかれていた「コンタドーラ·グループ」の二つの会議に出席していた。フロレス外務次官も、取材のために訪ねた記者たちに、「メキシコは国際政策面で
Author: 本誌記者 鄭方堃 檀中恕 Year 1984 Issue 24 PDF HTML
-
1947. 諸民族の共同の発展をめざして
第六期全国人民代表大会第二回会議が閉幕した翌日―六月一日、少数民族の代表数百名は『中華人民共和国民族区域自治法』の成立を祝って、喜びあふれる集会を開いた。少数民族の代表は記者のインタビューに、民族区域自治の実行と『民族区域自治法』が持つ、諸民族の団結強化と少数民族地域の経済、文化、教育の発展に対する意義を強調した。諸民族の団結をまもる法律「新しい『民族区域自治法』は、中国の民族関係を正しく処理し、
Author: 本誌記者 剣川 呉迺陶 Year 1984 Issue 26 PDF HTML
-
1948. 中日友好とアジア·世界の平和のために
第二回中日民間人会議は一九八四年六月二十六日から二十九日にかけて北京でひらかれたが、われわれはこの会議を傍聴、取材した。会議では、中日双方は、「中日友好とアジア·世界の平和」をテーマとして熱烈かつ友好的なふんいきのなかで、率直な意見交換をおこない、真剣な討論をかわし、すばらしい成果をあげた。会議は、四つの分科会に分かれて開かれ、第一分科会では「国際情勢と中日関係」、第二分科会では「世界経済情勢と中
Author: 本誌記者 林国本、寒渓 Year 1984 Issue 28 PDF HTML
-
1949. 星にあこがれ、海に学ぶ青年たち
「草の根」の日中友好運動のさかんな宮城県の五回目(合計十二回で他の七回は東南アジア地域へ派遣されたもの)の宮城県青年の船訪中団が八月二十三日から二十六日夜にかけて中国の上海、杭州を友好訪問した。なお、この訪中団の上海、杭州訪問は上海旅遊公司と日本旅行開発(社長は故松村謙三氏の子息松村進氏)がプロデュースしたものであった。訪中団一行は八月十五日仙台港を出港し、洋上で船内研修をつづけ、小野直広東北大学
Author: 本誌記者 林国本 陳栄祥 Year 1984 Issue 36 PDF HTML
-
1950. 心が通い合う交流
中日青年友好交流に参加する日本青年の第一陣は、中国の大地に下りたったときから、友情の海に身を浸したようだ。一行は上海、杭州、南京を訪れたが、歌と踊りでわきかえる空港と駅で、あるいは見学した工場、農村、学校で、一緒に交歓した何千何万の中国青年と屈託のない接触から、さらには車窓から見た道端で手を振る通行人の笑顔に、何を感じただろうか。十九歳の大学生田中陽子さんと谷安代さんは、南京へ向かう車中で記者に、
Author: 本誌記者 呉迺 陶過放 Year 1984 Issue 40 PDF HTML