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Your search : [ author:本誌記者 夏振 剣川] Total 2047 Search Results,Processed in 0.077 second(s)
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1951. 中日友好とアジア·世界の平和のために
第二回中日民間人会議は一九八四年六月二十六日から二十九日にかけて北京でひらかれたが、われわれはこの会議を傍聴、取材した。会議では、中日双方は、「中日友好とアジア·世界の平和」をテーマとして熱烈かつ友好的なふんいきのなかで、率直な意見交換をおこない、真剣な討論をかわし、すばらしい成果をあげた。会議は、四つの分科会に分かれて開かれ、第一分科会では「国際情勢と中日関係」、第二分科会では「世界経済情勢と中
Author: 本誌記者 林国本、寒渓 Year 1984 Issue 28 PDF HTML
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1952. 星にあこがれ、海に学ぶ青年たち
「草の根」の日中友好運動のさかんな宮城県の五回目(合計十二回で他の七回は東南アジア地域へ派遣されたもの)の宮城県青年の船訪中団が八月二十三日から二十六日夜にかけて中国の上海、杭州を友好訪問した。なお、この訪中団の上海、杭州訪問は上海旅遊公司と日本旅行開発(社長は故松村謙三氏の子息松村進氏)がプロデュースしたものであった。訪中団一行は八月十五日仙台港を出港し、洋上で船内研修をつづけ、小野直広東北大学
Author: 本誌記者 林国本 陳栄祥 Year 1984 Issue 36 PDF HTML
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1953. 心が通い合う交流
中日青年友好交流に参加する日本青年の第一陣は、中国の大地に下りたったときから、友情の海に身を浸したようだ。一行は上海、杭州、南京を訪れたが、歌と踊りでわきかえる空港と駅で、あるいは見学した工場、農村、学校で、一緒に交歓した何千何万の中国青年と屈託のない接触から、さらには車窓から見た道端で手を振る通行人の笑顔に、何を感じただろうか。十九歳の大学生田中陽子さんと谷安代さんは、南京へ向かう車中で記者に、
Author: 本誌記者 呉迺 陶過放 Year 1984 Issue 40 PDF HTML
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1954. 「新しい友人ができて中国がなお好きになった」
「すごいなあ」。威風堂々たる百体の始皇帝軍を前にして、日本の青年たちは思わず感嘆の声を漏らした。真紅の外套をまとった秦の始皇帝の像が後の一段高いところに立ち、兜と鎧をつけた武士俑はライトに照らされて神秘なほどの効果をあげている。ここは西安市の興慶公園の中。周りは太鼓の音が鳴りひびき、ごったがえしているが、ここだけが静かで、だれ一人動こうともしない。驪山のふもとで出土した武士俑が公園の中に運び込まれ
Author: 本誌記者 呉迺陶 過放 Year 1984 Issue 42 PDF HTML
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1955. 秦公一号大墓の発掘取材記(一)
十年前から進められて来た秦公一号大墓の発掘は最後の段階に入った。その槨がすでに開かれ、前室もすでに整理が終わったが、残念なことにはまだ棺が発見されていない。この大墓の盗掘はひどく、数回の大地震にもあい、棺が破壊され、泥土と混じって、区別しにくいと見られる。したがって人びとの期待する「墓の主人公の最終確認」は難しくなる。それにもかかわらず、専門家や学者は一致して大墓の価値を認めている。この大墓は中国
Author: 本誌記者 馬玲 王暁浜 Year 1986 Issue 24 PDF HTML
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1956. 秦公一号大墓の発掘取材記(二)
水至りて渠成る韓班長は記者の前で足を止めた。北京から持参の証明書を見せて、日本の読者の要望と記者の大墓の発掘取材に取り組む意欲を伝えたが、彼は頭を軽く振りながら、「申し訳ないが、いまちょうど忙しいところで、記者に応待する暇はありません」と言った。記者は取材の理由を懸命に説明し、彼を離さなかった。記者の真剣な態度を断わりにくくなったのか、あるいは日本の読者の期待を無視しがたいと思ったのか、そばのテン
Author: 本誌記者 馬玲 王暁浜 Year 1986 Issue 25 PDF HTML
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1957. 秦公一号大墓の発掘取材記(三)
十年と二千五百年考古隊の韓班長の話を聞いているうちに、いつの間にか正午になった。韓班長の案内でテントから発掘作業現場へと、守衛の前を難なく通りすぎた。今度こそ落ち着いて発掘作業現場を見おろすことができた。それは深さ二十メートル以上の大きな穴であり、二千五百年の歳月の重味が感じられた。考古隊の用語だと、これは「中」字形の大墓である。でも、記者が見たものは「口」字形である。「中」字の「ー」(たて棒)の
Author: 本誌記者 馬玲 王暁浜 Year 1986 Issue 26 PDF HTML
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1958. 秦公一号大墓の発掘取材記(四)
大墓を参観翌日、韓班長の案内で大墓の東側の傾斜面から墓底へ進んだ。十年間の発掘作業と二千五百年のへだたりは、わずか三分間足らずだった。厳密に言えば、着いたのは大墓の第二階段、つまり墓の主人公の副葬区であった。ここから下は、考古関係者が整理中の槨室であり、関係者以外は絶対に立ち入り禁止である。殉葬者は志願なのか「気をつけて下さい。足もとに死者がいるかも知れないから」と韓班長はユモーアたっぷりに言った
Author: 本誌記者 馬玲 王暁浜 Year 1986 Issue 27 PDF HTML
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1959. 大地震後の新唐山
百万の人口を擁し、工業総生産額が全国の一%を占めたこの都市は大地震発生後、いたる所に倒壊した建築物、瓦礫、散乱するコンクリート板が見えるだけで、生存者の恐怖、驚愕、悲痛……名状しがたい心情が交錯し、恐ろしい自然災害への呪詛の声さえも聞かれないほどだった。大震災と救援一九七六年七月二十八日午前三時四十二分、東経一一八度一一分、北緯三九度二五分の地点にある中国の有名な炭鉱都市唐山は一瞬のうちに大地震に
Author: 本誌記者 李寧 楊小兵 Year 1986 Issue 30 PDF HTML
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1960. 青春を取り戻した古城―洛陽
ここには、洛陽の歴史、考古学上の新発見、有名な竜門石窟、中国最古の仏寺の僧侶の生活、美しい唐三彩工芸品、建設中の古墓博物館などが紹介されている。古代に地震儀や製紙術を生んだ古都もいまではベアリングなどの工業製品を生産し、外国に輸出している。 ―編集部千年の古都洛陽は中国の六大古都(北京、西安、洛陽、南京、杭州、開封)の一つで、西暦前七七〇年に東周の初代帝王の周平王が洛陽を国都とし、そののち、後漢、
Author: 本誌記者 戴延年 黄鶯 Year 1986 Issue 35 PDF HTML