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Your search : [ author:本誌記者 黄 衛] Total 2107 Search Results,Processed in 0.144 second(s)
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2061. 第八回中日経済シンポジウム
日本経済新聞社と人民日報社の共催による「第八回中日経済シンポジウム」が十一月十五日、東京·日経ホールで開催され、朱鎔基総理と小渕恵三首相がそれぞれ祝賀メッセージを寄せ、シンポジウムの円満な成功を祈った。鶴田卓彦·日本経済新聞社代表取締役社長と邵華沢·人民日報社社長の挨拶につづいて、「改革と協力―二十一世紀への課題」のテーマをめぐって、基調講演が行われ、両国の関係者たちは各自の見解や提案を述べ、意見
Author: 本誌東京特派員 賀雪鴻 本誌記者 林国本 Year 1999 Issue 48 PDF HTML
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2062. 歴史が凝縮された音楽を聴く
建築は凝縮された音楽であるとよく言われるが、建築学者に言わせれば民家こそが永遠の建築であるという。なぜなら人類が存在する以上、民家は絶えず建てられ、増えるからである。ある特定の時代における民家の建築にはその時代の特徴が豊富に見られ、それは歴史·社会現象であると同時に文化現象でもある。古い民家や村落および歴史·文化都市の保護は、その国の経済や文化のレベルの反映であると見なされる。自分たちの歴史·文化
Author: 黄衛 高鋼 Year 1999 Issue 47 PDF HTML
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2063. 暖かく、楽しい大家族
この春、北京市民政局福祉課の職員の呉蓓さんといっしょに、北京市児童福祉院を訪れた。北京の北西郊外にある清河鎮で、にぎやかな自由市場の一角を通りぬけた私たちの車は、静かな小路地へと入っていった。少し進むと、呉蓓さんはそう遠くない前方の四階建ての建物を指さした。それが北京市児童福祉院であった。白い壁、濃緑色の瑠璃瓦の屋根―それはどこにでもあるような、ごく普通の建物である。だが、ここは二百人余りの孤児に
Author: 特約記者 黄衛 Year 1996 Issue 23 PDF HTML
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2064. 急テンポで発展する中国の工業
偉大な七〇年代の最初の年に、わが国の工業総生産額、および鋼、銑鉄、原炭、原油、工作機械、綿糸など主要製品の生産高は、いずれも国家計画所定の指標に達し、あるいはそれを超過した。工業基本建設計画もりっぱに達成され、施工の速度、操業開始項目の数という点では、これまでのどの年にも見られない成果があがった。これらのすべては、第四次五ヵ年建設計画の順調な実施に有利な条件をつくりだした。めざましく発展する工業戦
Author: 紀衛 Year 1971 Issue 1 PDF HTML
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2065. 西側の「輸血」に頼るソ連経済
七〇年代に入ってから、ソ連は「緊張緩和」と「互恵経済協力」を看板にして、西側との貿易·経済関係の発展テンポを異常なまでにはやめてきた。貿易の拡大だけでなく、長期「協力」協定、「生産協業」などという「経済協力」の「新方式」もとりいれている。ブレジネフはソ修の「二十五回大会」での報告で、この時期に「ソ連と資本主義諸国との経済関係、科学·技術関係は質的な変化をとげた」と公言した。ソ連の新聞·雑誌も「ソ連
Author: 衛民 Year 1976 Issue 51 PDF HTML
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2066. 黄河を征服する
黄河はわが国第二の大河。青蔵(青海、チベット)高原の巴顔喀拉(バヤンカラ)山に源を発し、青海、甘粛、寧夏、内蒙古、陝西、山西、河南、山東など八つの省と自治区をえんえんとして西から東へと流れ、渤海湾に注いでいる。本流全長四千八百四十五キロ、流域面積七十四万五千平方キロ。昔、ながい歴史的時期にわたって、黄河流域はわが国の政治的経済的中心地となり、輝かしい文化を生み育てた。社会主義革命と社会主義建設のす
Author: 黄群 Year 1971 Issue 42 PDF HTML
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2067. ワシントンで過した日々
春節(旧正月)は中国人民の伝統的な祝日である。今年のこの祝日には錦上花を添える喜びごとがある。中米両国の国交が正式に樹立され、鄧副総理が一月二十九日にアメリカを公式訪問するのである。この二重の喜びにあふれる祝日を迎えるに当り、われわれは毛主席と周総理、ニクソン元米大統領が中米関係発展のためにきりひらいた道が今日の国交樹立につながっていることを思うと、ひとしお感銘深い。上海コミュニケが発表されて以降
Author: 黄鎮 Year 1979 Issue 4 PDF HTML
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2068. 心からの願い
激動の一九八三年が間もなく過ぎ去ろうとするとき、中国政府は北京で、核戦争の脅威排除のため奔走しているカナダの使者、尊敬するトルドー首相を迎えた。つづいて、一九八四年の新年早々、趙紫陽総理が友情と協力の強化という中国政府と中国人民の願いを携えてカナダを公式訪問することになった。わたしは初代の中国駐カナダ大使であり、またカナダを初めて訪問した中国の外交部長でもあったので、多くのカナダ人と友人となり、中
Author: 黄華 Year 1984 Issue 2 PDF HTML
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2069. バンドン会議の回想
今年はアジア·アフリカ会議三十周年にあたる。当時のホスト国インドネシア政府は、来る四月二十四、二十五の二日、バンドンで盛大な記念行事をおこなうことを提案し、アジア·アフリカ諸国はこれを高く評価し、熱烈に呼応している。中国も招きに応じて代表をおくることになった。一九五五年四月十八日から二十四日にかけてバンドンで開かれたアジア·アフリカ会議は、アジア·アフリカ諸国の民族独立をめざす闘争の歴史においても
Author: 黄華 Year 1985 Issue 15 PDF HTML
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2070. 鄧小平はなぜこれほど、政治体制改革を重視するのか
中国共産党第十三回全国代表大会が近づくにつれ、同大会の重要議題の一つである政治体制改革が人びとの関心と注目を集めている。現在進められている経済改革は八年前、農村から始まり、のちに、都市へ発展した。この改革、とくに農村で実施された生産請負制を中心とする改革は、著しい成果を収めた。この改革の主要な発起人、指導者としての鄧小平は、一九七八年十二月のある会議で、「いま改革を行わなければ、われわれの現代化事
Author: 黄遅 Year 1987 Issue 38 PDF HTML