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Your search : [ author:本誌記者 戴小華] Total 2042 Search Results,Processed in 0.091 second(s)
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201. 杖と足
山を登るときは、主として二本の足に頼るが、杖に頼らなければならないときもある。杖は、足にとって代わることはできないが、足の登攀力を強くすることができる。現代化の事業をすすめるにあたっては、主として自力更生に頼るが、先進的な技術と設備の導入は、自力更生の能力を強くすることにほかならない。記者はこのほど北京郊外の燕山石油化学総公司に属する前進化学工業工場を訪れ、工業の近代化のため、「杖」がどのように「
Author: 本誌記者 周今 Year 1979 Issue 30 PDF HTML
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202. 連鎖反応
新設備を導入してから、旧設備をどう処置するか。後進的な設備を使用している工場は倒産して失業者を出しはしないか。ここに、或る「連鎖反応」の事例を紹介する。北京地区の工場で生産されるセーターは、デザイン、品質ともに優れており、国内外で好評を博している。以前、生産に必要な梳毛糸は自給できず、一九七五年までに、梳毛糸を毎年約三百トン輸入し、外貨九十万ドルを支払った。どうしたら、原料を国内でまかなうことがで
Author: 本誌記者 金幾竹 Year 1979 Issue 30 PDF HTML
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203. 大同を求め小異を残す精神の勝利
リベリアの首都モンロビアで開かれたアフリカ統一機構(OAU)首脳会議は、四日間にわたって激論をたたかわせた末、七月二十一日払暁に閉会した。これは、アフリカ諸国の指導者が新しい情勢のもとにもった重要な会合であった。この会議では、いくつかの問題をめぐって意見が食い違い、論争があったが、会議の経過と結果はアフリカ諸国の共通の願いを表わし、大同を求め小異を残す精神が勝利したことを示している。闘争の継続モン
Author: 本誌記者 王緯 Year 1979 Issue 31 PDF HTML
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204. 解放後の北京三十年
一九四九年十月一日、毛主席は北京の中心部に位置する天安門の上から中華人民共和国の成立を宣言した。北京は中国の首都として今日までの三十年間にどのように変わったか。現在、どのような問題をかかえているか。ここで新旧の北京を比較しながらこれらの諸問題にふれてみよう。歴史雄大な古都には華麗な宮殿もあれば、人民の苦難、外敵の侵入などもあった。一九四九年一月三十一日、古都北京はついに解放された。いまから四千年前
Author: 本誌記者 周京華 Year 1979 Issue 32 PDF HTML
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205. 新長征のために体を鍛える
九月に開催された第四回全国体育大会(日本の国体にあたる)は中国のスポーツ活動の一大点検の場であった。同大会はたくさんの人の興味を集め、新聞、ラジオ、テレビもかなりのスペースや番組を当てて報道した。今回の大会の主要な目的は、スポーツを普及させ、技術を高め、社会主義的現代化をめざす新長征のために体を鍛えることである。第四回全国体育大会大会は九月三十日、北京工人体育場で成功裏に幕を閉じたが、ここで全国の
Author: 本誌記者 楊初文 Year 1979 Issue 42 PDF HTML
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206. 三人の選手のこと
陳蕭霞選手(跳込み)それは一九七三年夏のことである。南中国の広州市のある業余体育学校で新入生の選考中、ほっそりした、もの静かな一人の少女が、ほかの応募者の動作をまね、何のためらいもなく、プールに跳び込んだ。ところが、彼女はすこしも泳ぎを知らなかったので、水のなかでもがいた。救われてプールからあがってきた彼女は、それでも平然としていた。選考にあたった黄秀妮先生はただちに彼女の大胆不敵さをかって入学さ
Author: 本誌記者 田雲 Year 1979 Issue 42 PDF HTML
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207. 面目を一新した北京国際空港
北京国際空港ターミナルビルとその付帯施設の建設工事が中国建国三十周年を前に完工した。この国際空港は一九八○年のはじめに、世界各国のお客さんを迎えることになっている。中国最大の空港さいきん、記者は北京市内から二十数キロ離れた東郊外の北京国際空港を取材訪問した。空港に到着すると、高さ二十数メートルの五階建ターミナルビルが目に入った。ビルのてっぺんには赤塗りの「北京」という字がかかげられている。ターミナ
Author: 本誌記者 華生 Year 1979 Issue 43 PDF HTML
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208. 人口学者を訪ねて
北京の中国人民大学の構内にある教員宿舎に人口理論研究所の責任者劉諍氏を訪ねた。同氏は人口理論を研究している中国の専門家の一人であり、人口理論と人口問題の研究をはじめてからこの道一筋に歩んできた人である。いまは、社会主義社会の人口増加の法則、人口増加と社会発展の関係、中国の人口政策などの研究に取り組んでいる。□…歴代の人口…□五十歳になる中背の劉諍氏は書斎で、中国の人口の基本状況と解決すべき問題につ
Author: 本誌記者 周京華 Year 1979 Issue 46 PDF HTML
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209. 天津市和平区はどのように人口政策を実施したか
天津は中国の三番目の大都市であり、華北の重要な港湾都市でもあり、人口抑制の面でも成果をあげている。記者が天津に着いた時、ちょうど市当局が計画出産の宣伝をさかんに行なっていた。計画出産の仕事に成功した同市の和平区は商店街で市の中心部にあり、人口が密集している。計画出産弁公室の副主任は温厚な、親しみやすい婦人幹部。その名は張昭容という。彼女は二人の若い女性劉さんと宋さん、それに中年婦人の董さんと趙さん
Author: 本誌記者 周京華 Year 1979 Issue 46 PDF HTML
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210. 九億人の住宅問題
一九四九年から一九七八年にかけ全国の大、中都市と工業、鉱山区に五億三千百五十万平方メートルの住宅が建てられた。多くの都市からスラム街は姿を消し、人びとは基本的に住宅の保証をあたえられた。いま、政府はなお都市の住宅難問題を解決すべく全力をあげて取り組んでいる。
Author: 本誌記者 周今 Year 1979 Issue 48 PDF HTML