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Your search : [ author:于強] Total 5 Search Results,Processed in 0.085 second(s)
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1. 残留孤児の恩人―中村義光さん
先日、友人の中村義光さんから手紙を貰い、まもなく「四野会」の戦友を率いて、中国を訪問し、伍修全将軍とも会うと言ってきた。中村さんは中国に深い感情をもっており、毎年のように元中国第四野戦軍に参加した日本人の戦友を率いて中国を訪問している。戦前、中村さんは強制的に中国侵略戦争に参加させられたが、のちに日本人反戦同盟に加入して、中国人民とともに日本軍国主義の侵略戦争とたたかい、中国人民解放軍第四野戦軍に
Author: 于強 Year 1997 Issue 24 PDF HTML
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2. 野田泰三氏の中国での夢
今から百六十年も昔、今の山形県にいた上杉鷹山という殿様は、村民を率いて十年かけて百万本以上のウルシの木を植えた。ウルシの木は寒さや干ばつに耐える植物であり、その実から蝋を取ることができ、蝋はポマード、薬品、化粧品などに用いることができ、こうして、村民たちは櫨(マルバハゼ)の木から蝋を取ることで収入を得て、凶作の年でも餓死した村民は一人もいなかった。しかも、土地のやせた山地は緑に覆われるようになり、
Author: 于強 Year 1998 Issue 17 PDF HTML
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3. 中国に思いを寄せる木下博民さん
私の本棚に木下博民さんの著書七、八冊が並んでおり、あわせて三百万字もあるものだ。日本の旧軍人、捕虜だった木下さんは日本に引き揚げてから実業家となり、その後かずかずの著書を書き著し、作家として活躍している。私と木下さんとの出会いは一九八八年で、当時の木下さんはNEC電気カルチャーセンターの社長であった。木下さんから、「突然お手紙を差し上げて申し訳ありません。日本であなたの長編小説『風媒花』を読ませて
Author: 于強 Year 1998 Issue 44 PDF HTML
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4. 日中友好のために東奔西走する熊谷謙氏
今年の春、友達の紹介で熊谷謙中国投資顧問株式会社社長と知り合った。熊谷氏は五十歳ぐらいで、親しみやすい人柄の方である。氏の話では、会社の設立は日中友好の促進を目的とし、日中の企業家と関係者の交流と協力のために仲介の労をとり、日中友好のために寄与することにある。数年来、熊谷氏は日中の間を東奔西走し、目的を達成するために努力している。より多くの日本人とりわけ日本の中小企業の人たちに中国のことを知っても
Author: 于強 Year 1999 Issue 18 PDF HTML
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5. 中日両国の詩友、李白の詩を吟する
旧暦九月九日の重陽節にあたる十月十六日、秋風がそよ吹き、菊が咲きほこり、木犀の香りが漂うなか、日本から八十人近くの詩人、詩の愛好者、吟詠家が安徽省馬鞍山市に集まり、同地で催された第三回中国国際詩吟祭に参加した。馬鞍山市は唐代の大詩人、李白の客死した土地で、·李白は多くの足跡と不朽の詩篇を同地に残した。日本人は李白を敬愛し、李白の詩を読み吟じるのが好きだ。毎年のように千人もの日本の友人が馬鞍山市を訪
Author: 安徽省馬鞍山市対外友好協会秘書長 于強 Year 1991 Issue 48 PDF HTML