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Your search : [ author:本誌記者 田三松 趙一鷗] Total 2041 Search Results,Processed in 0.083 second(s)
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401. 好評を博したテレビドラマ
一九八六年に入ってから、中国のテレビ局は数々の優れた番組を放映し、これまでテレビドラマに批判的だった視聴者の耳目を一新させた。とりわけ、テレビドラマの質に際立った向上が見られ、普遍的に好評を博し、全国を沸き立たせたものさえある。「新星」の出現新しく放映されたテレビドラマのうち、もっとも注目を浴びたのは、太原テレビ局が製作した連続テレビドラマ『新星』である。幾千幾万もの視聴者はこのテレビドラマにすっ
Author: 本誌記者 韋黎明 Year 1986 Issue 12 PDF HTML
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402. 北京の現代化と古代文明
八〇年代に入っていらい、北京市の変貌はめざましく、数多くの高層ビルが現れ、数十の立体交差も幹線道路に出来ているが、一部の人は次のような疑問を抱いている―八百年の歴史を持つ古都のおもむき、多くの貴重な文化財と旧跡、伝統的な四合院(中庭を囲んだ四棟からなる中国の伝統的な住宅)はこの現代化建設の波に潰されてしまうのではないだろうか。将来の北京はいったいどのような姿になるのだろうか。この記事はその回答であ
Author: 本誌記者 剣川 Year 1986 Issue 13 PDF HTML
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403. 長城を踏破した人
一九八六年四月五日は、劉雨田さんにとっていつまでも忘れることができない日となった。この日の午後、四十三歳の劉さんは長城の東端―山海関老龍頭に到着し、二年間近くにわたる、行程五千五百キロの壮挙を完遂し、万里の長城を踏破した世界ではじめての人となった。世界七大奇跡の一つの万里の長城は、宇宙飛行士が宇宙から一番はっきり見える地球上の建造物だという。非常に雄大な古代の防御構築物としての長城は、えんえん中国
Author: 本誌記者 張威 Year 1986 Issue 15 PDF HTML
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404. 改革は第七次五ヵ年計画達成のカギである
第七次五ヵ年計画の達成は、何を頼りにするのか。これは第六期全国人民代表大会第四回会議に参加した三千人近くの代表のひとしく関心を持つ問題であり、彼らが討議した重要課題でもある。第六次五ヵ年計画期(一九八一~一九八五年)は、農村で改革が実行され、都市では一九八四年から経済体制改革が始まったため、国民経済と社会発展の面に著しい変化が見られた。代表たちは、第七次五ヵ年計画案に定められた諸経済の成長率に対し
Author: 本誌記者 剣川 Year 1986 Issue 15 PDF HTML
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405. 三誌予約購読者景品抽選会が開かる
三誌予約購読者景品抽選会が四月四日午後、中国画報社ホールで開かれ、『北京周報』、『人民中国』、「中国画報』の三誌に勤務している日本人専門家、日本人留学生の代表、三誌のスタッフ百人がこれに出席した。王希魯中国国際図書貿易総公司副総経理が抽選会の開会を告げると、大きな拍手が起こった。それもそのはず、これは中国の外国向け刊行物が共同で主催した初めてのことであるからだ。ビデオカメラが会場の様子を写しまわり
Author: 本誌記者 馬玲 Year 1986 Issue 15 PDF HTML
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406. 民法通則が制定される
第六期全国人民代表大会第四回会議は四月十二日に民法通則を審議し、これを採択した。陳丕顕全人代常務委副委員長が述べたように、「民法は国の基本法律の一つであり、民法の制定は国の法体制づくりの大きな出来事である」。制定作業全人代常務委秘書長であり、法制工作委員会主任の王漢斌氏は民法通則について次のように述べた。五〇年代、全人代常務委は民法起草作業に早くも着手した。一九七九年、法制工作委員会は民法起草グル
Author: 本誌記者 楊小兵 Year 1986 Issue 16 PDF HTML
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407. 政協委員、意見を思う存分に語る
北京国誼ホテルの七階会議室に集まった中国人民政治協商会議第六期全国委員会第四回会議第三グループの五十人の委員たちは、国政について熱のはいった討議をくりひろげた。ある委員は、電話のかけにくいこと、郵便物の遅いこと、学術刊行物の郵便料が高すぎることなどの問題を指摘して「郵政電信部長は弾劾を受けるべきだ」と語った。この討議会の司会者錢偉長委員(中国民主同盟中央副主席、上海工業大学学長)は、政協は弾劾権を
Author: 本誌記者 経緯 Year 1986 Issue 16 PDF HTML
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408. 軍務を終えて現代化建設に参加
軍縮によって編制が廃止されたある野戦軍の将兵は、軍服を脱いでから、あいついで国の現代化建設に身を投じ、新しい生活を始めた。 これは中国が一九八五年に決定した軍隊百万人削減を反映するものである。華北地区の港湾都市の天津は首都北京の入口と言われている。一九〇〇年のイギリス、アメリカ、ドイツ、フランス、ロシア、日本など八ヵ国連合軍の中国侵入はまず大沽に上陸し、天津を占領したのち北京を陥れた。中国人民の解
Author: 本誌記者 陸雲 Year 1986 Issue 17 PDF HTML
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409. 万里の長城のふもとでマラソン·リレー競走
最近修復されて観光客に開放された北京懐柔県慕田峪の万里の長城で、北京·東京友好都市結成七周年、中日スポーツ交流三十周年を記念して、一九八六年「中日友好」長城マラソン·リレー競走、「北京―東京」友好長城マラソン·リレー競走、慕田峪長城クロスカントリー競技が四月二十日におこなわれた。東京、名古屋、横浜、大阪、愛知と北京、南京、上海の三百人近くの選手たちがこれに参加した。四月二十日の朝七時頃から懐柔県の
Author: 本誌記者 馬玲 Year 1986 Issue 17 PDF HTML
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410. 子供らの澄んだ瞳に感動した杉良太郎さん
このほど杉良太郎さんは上海、南京、北京で公演した。記者は中華全国青年連合会の要望で接待を手伝うとともに、中国における公演を取材した。杉さんは日本では有名で、今回の公演には事務局、バンド、舞台装置係のほか、ファンも多数加わって、総勢三百人以上だった。「ファン」は中国語に訳す場合、「愛好者」とか「知己」と訳すとぴったりしないので、「崇拝者」としたほうがもっと適切である。自分一人で多数の「崇拝者」を従え
Author: 本誌記者 王暁浜 Year 1986 Issue 18 PDF HTML