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Your search : [ author:本誌東京特派員 賀雪鴻] Total 156 Search Results,Processed in 0.141 second(s)
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21. 友好の人材を育成する日中学院
東京都文京区にある日中学院は中国語教育のレベルの高さでその名が知られている。戦後の日本における中国語教育発祥の地とも言われる同校は、日中友好と科学的中国語教学の普及にもとづく建学精神を貫き、友好の人材を多数育て上げてきた。創始者の倉石武四郎先生は生前は中国語学者であるとともに、日中友好事業の「井戸を掘った人」でもあり、生涯を中国語教育と日中両国の友好のために献げた。新中国誕生もまもない一九五一年四
Author: 本誌東京特派員 賀雪鴻 Year 1997 Issue 22 PDF HTML
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22. 日本人の見る香港の祖国復帰
今年七月一日、中国は香港に対する主権行使を回復する。これは中国人民にとって大きな出来事であり、世界的にも注目を集めている。このほど記者は香港の祖国復帰について中田慶雄日本国際貿易促進協会理事長と中江要介元駐中国大使にインタビューした。その要旨は次の通り。記者 来る七月一日、香港は中国に復帰する。これについて日本の経済·金融界では、復帰後、香港の金融·貿易センターの地位が変わるのではないかと心配する
Author: 本誌東京特派員 賀雪鴻 Year 1997 Issue 25 PDF HTML
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23. 青島市栄誉市民―加藤重一先生
中国の美しい海浜都市青島では日本語の人材を養成する学校として加藤日本語中等専門学校がよく知られている。学校の名誉校長加藤重一先生が長年中国の教育事業ならびに中日両国の友好に尽力されたことを表彰するため、昨年十月、青島市政府から青島市栄誉市民の称号を授与された。サクラ印のハチミツを生産、販売する加藤美蜂園本舗社長である加藤先生は戦前青島に生まれ、三十一歳まで中国で育った。そのため、先生は中国に対し特
Author: 本誌東京特派員 賀雪鴻 Year 1997 Issue 41 PDF HTML
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24. 興国の志が支える十年の日本留学
国会図書館の中を一回りすると、日本で博士号を取得した人たちの博士論文を並べたコーナーがとくに人の目を引く。その中に『梁啓超研究』という五十万華字にのぼる論文がある。著者は昨年大東文化大学文学部を卒業した鄭匡民さんである。四十六歳の鄭さんは実際の年齢よりかなり若く見える。落ち着いた物腰、優しく冷静な眼差しから豊かな人間性があふれている。常に謙虚な態度、落ち着いた口調で話をするが、その言葉の端々から粘
Author: 本誌東京特派員 賀雪鴻 Year 1997 Issue 43 PDF HTML
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25. 中国人留学生を援助する高松尚之さん
富山大学の中国人留学生たちは毎年一度マイクロバスで山や海、あるいは名所旧跡を旅行するチャンスに恵まれている。それは立山黒部アルペンルート、志賀高原温泉郷、能登半島の金剛寺·巖門寺、曽々木海岸、金沢の兼六園、京都のお寺、二条城、長野県の松本城、福井県の越前町陶芸村、今立町和紙の里など留学生たちがふだんあまり足を運べないところへ一泊二日、すっかりリラックスできる楽しい旅行なのである。スポンサーは高松尚
Author: 本誌東京特派員 賀雪鴻 Year 1997 Issue 44 PDF HTML
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26. 生涯を平和と友好に捧げる坂田夫妻
十月四日、東京都渋谷区勤労福祉会館に日中友好事業に熱心な方々五十人が集まり、「坂田輝昭さんを偲び、和子さんを励ます会」を開いた。日中友好協会全国本部、東京都·渋谷区日中友好協会、渋谷区日中友好議員連盟の人々および青年時代から坂田夫妻と一緒に、日中友好のために闘ってきた友人が去る五月六日に亡くなった坂田輝昭さんの一生を偲ぶとともに、故人の遺志を継ぎ、日中友好事業を子々孫々まで続けていこうと決意を新た
Author: 本誌東京特派員 賀雪鴻 Year 1997 Issue 46 PDF HTML
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27. 「告知板」で平和を訴える庄幸司郎さん
東京で、建築、出版、映画関係の会社四社を経営している庄幸司郎さん(六六)は熱心な平和運動家である。中日国交正常化が実現した一九七二年に、月刊ミニコミ誌「告知板」を創刊し、これまでに通算三〇五号、二万七千五百部発行している。読者は日本全国から海外にも広がり、草の根平和擁護運動の基盤を築く役割を担っている。編集方針は、平和と民主主義を守り、かつてのアジア諸国に対する侵略戦争の責任をはっきり認め、償うこ
Author: 本誌東京特派員 賀雪鴻 Year 1998 Issue 2 PDF HTML
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28. 日中友好に尽力する鈴木茂さん
神奈川県大和市中央林間に住む鈴木茂さんはそろそろ喜寿を迎える方であるが、地区日中友好運動の大黒柱として活躍している。一九九〇年、大和市、座間市、綾瀬市、海老名市の四市が合併した大和地区日中友好協会の専務理事を務めるようになってから、事務局を自宅に設け、忙しい毎日に追われている。協会の活動として、中国人留学生との交流、支援、歴史認識や中国への理解を深める講演会、中国映画観賞会、中国物産展、春節の集い
Author: 本誌東京特派員 賀雪鴻 Year 1998 Issue 3 PDF HTML
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29. 友好の種播く島田政雄さん
昨年十二月四日、東京都千代田区の学士会館で、日中友好協会全国本部顧問島田政雄さんと元「人民中国」誌編集長田家農さんの共著『戦後日中関係五十年』の出版記念会と、島田さんが中日友好協会から「中日友好の使者」称号を贈られたことを祝う会が開かれた。中国駐日大使館公使武大偉、日中友好協会理事長村岡久平、老日中グラブ代表世話人川村統一郎、東京華僑総会名誉会長陳焜旺の各氏はあいさつの中で、島田さんが日中友好協会
Author: 本誌東京特派員賀雪鴻 Year 1998 Issue 0506 PDF HTML
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30. 中日友好の掛け橋―高橋正六先生
高知県南国市にある千屋崎病院は老人のリハビリテーションで有名である。ベッド数百十四床、三階建のこの病院の中には、入口から廊下、病室、事務室、応接間、そして階段西側の壁までに中国の絵画、書、写真、人形、工芸品などがいっぱいに飾られている。「日本が二十一世紀の国際社会の中で生きぬいてゆくためには、隣国とくに中国との友好親善をはかり、一衣帯水の仲であらねばなりません。そのためにはまず私などが中国(人)の
Author: 本誌東京特派員 賀雪鴻 Year 1998 Issue 7 PDF HTML